オーストラリアの新聞記事



1999年5月23日付けのメルボルン(オーストラリア)サンディ・ヘラルド紙(Melbourne (Australia) Sunday Herald)に掲載された記事です。

(1999年6月作成)(2002年3月修正)

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ほとんどの人がウィリアムズ症候群の名前を初めて聞くのは、自分の子供が診断を受けた時です。まったくといっていいほど知られていないこの遺伝子疾患は、いろいろな症状が奇妙に組み合わさっています。この病気の患者は、しばしば絶対音感や音楽的才能に恵まれていますが、一方では足し算ができない、靴紐が結べない、あるいはナイフとフォークが使えません。彼らは調和がとれておらず、知能指数も低いことがあります。しかし、同情心に富み、他人の苦悩を感じ取れる説明できない第6感を持っています。彼らは外交的で、おしゃべり好きで、大人との付き合いを好み、知らない人に突然抱きついたり、おしゃべりを始めたりします。大部分の人は活動的な生活ができますが、慢性的な痛みや心臓病を含むいろいろな病気と戦っています。

ウィリアムズ症候群は妖精顔貌症候群(elfin-face syndrome)としても知られています。2歳くらいでは、ウィリアムズ症候群の子どもの大部分はおとぎ話に出てくる小人や小妖精に似てきます。顔の幅が狭く、ぱっちりとした目、垂れたまぶた、横に広がった口と厚い唇をしています。

ウィリアムズ症候群は2万回の出産に1回の割合で特発的に発生します。ダウン症の発生は700回に1回です。1961年に初めて記録され、1993年になるまで病気の原因は不明でした。めったに発生しないために、長い間病名の診断を受けないままの子どもたちもいます。保健機関や教育機関の専門家たちでもこの症候群のことはよく理解していません。

ビクトリア州ウィリアムズ症候群の家族の会(The Victorian Williams Syndrome Family Support Group)には50家族が参加しています。メンバーでありクロイドン(Croydon)に住む電気技師のバリー・ミッチェル(Barry Mitchell)は、ベイズウォーター(Bayswater)でボーイスカウト活動の手伝で宝くじを販売しているときに診断の手助けをしたことがあります。

「ひとりの婦人が私に近寄ってきて、『私の孫はあなたのお子さんにとてもよく似ています』と話しました」、と彼が言います。
「その婦人は、それがどういうことか、何を意味しているのかを知りたがりました。」
「最初のうち私達はそのサポートグループとかかわりたいとは思いませんでした。無知ゆえに怖かったのです。私達はかたくなでした。」
「しかし今ではいろいろ違った段階で努力をしている子どもたちやその家族に会うことはとても楽しみです。」
「私達は、子どもも親も共に成長するのです。」
「一生続く絆です。私達はみんな身近な存在なのです。」

ニュージーランドのオークランドにある病院で、心臓手術を受けた若い患者達が互いによく似た顔つきをしていることに気がついたウィリアムズ医師(J.C.P.Williams)が、1961年にウィリアムズ症候群を同定しました。彼らはよく似た妖精様顔貌をしており、話好きで外向的、小柄な体格で、程度の差はありますが知的障害がありました。1993年に、この症候群は7番染色体にキズがあることがつきとめられ、現在では実施件数の98%が血液検査で確認できます。

サポートグループの話では、早い時期に診断されることは稀ですが、診断を受けると両親は長い間の苦しみから解放されるだろうということです。両親は診断前の子どもと過ごした日々を振り返って、「地獄から来た子ども」と暮らしているように感じていました。出生体重は少なく、授乳が困難で筋緊張も不足しています。眼・歯・腎臓・ヘルニア・腹痛などの問題がよく見られます。ウィリアムズ症候群の子どもには、作業療法・言語療法・理学療法などを含んだ早期援助プログラムが効果的です。地域社会や専門家に知られていない事、統合教育・家族サポートやその他の援助などを見つけることが家族にとっての重大な課題です。

ビクトリア遺伝医療サービスの遺伝専門家のステファン・ロバートソン医師(Dr Stephen Robertson)は、孤発湾曲足・孤発多指症から心臓病・ダウン症やウィリアムズ症候群・二分脊椎に至る先天的奇形の子どもは100人に3人の割合で産まれると言います。

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