認知から脳を経て遺伝子までの旅:ウィリアムズ症候群から得られる見とおし



ウィリアムズ症候群に関する論文集が「The MIT PRESS社」から単行本として出版されました。下記はその本の序文です。

(2002年10月)

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Journey from Cognition to Brain to Gene
Perspective from Williams Syndrome

Ursla Bellugi, Merie St. George
The MIT Press, 2001, ISBN 0-262-52312-4

1985年のある日の夜遅く、ソーク研究所(The Salk Institute)にあるアースラ・ベルージ博士(Dr. Ursla Bellugi)の研究室の電話が鳴った。電話をかけてきた女性は「ノーム・チョムスキー(Norm Chomsky)からあなたに電話するようにと言われました」と話し始めた。魅力的な言語能力があるために知能指数が49と低いことをカバーしているという稀な症候群があるように見える14歳の娘のことを語った。専門分野ではなかったので最初は気が進まなかったベルージは、結局口説き落とされてウィリアムズ症候群と診断されたその子どもに会うことを承諾した。この少女との刺激的な最初の面会のときに、後にこの症候群の目印の一つとなる特徴、すなわち視空間認知能力と言語能力の解離を示した。その子が書いた象の絵は、絵を書きながら話した説明を記録した文字ラベルがなければ何が描いてあるのかまったくわからない。対照的に、その子が象を説明した記述は文法的にとても流暢で、象がどのようなもので、何が出来てどんな体を持っているかを表現した複雑な文章構成を有している。(「草や藁を持ち上げられる長い鼻があるの…。でも、象をペットにしたいとは思わないでしょうね。猫や犬や小鳥のほうがいいわよ。」) ベルージはその子と毎週会うことを承諾し1、人のウィリアムズ症候群の子どもに備わっている普通ではないプロフィールを探るために、その後1年をかけて考えられる限りの認知機能検査を行った。ベルージはその当時、聾唖者が用いる手話に関する神経生物学的研究を行ってきた結果、大脳の左右半球への損傷がもたらす病状に関する専門家であり、言語能力や空間視能力の維持や損傷などの知識に通じていた。その時点ではまだ明らかにはなっていなかったが、彼女の経歴はウィリアムズ症候群の謎を解明するための重要なバックグラウンドになった。

検査を始めた最初の年(1984年)の年末近くになって、ウィリアムズ症候群協会(Williams Syndrome Association)の初めての会合がサンディエゴで開催され、数家族が参加した。この当時、ウィリアムズ症候群と同定されていたのは全米でもわずか60家族程度だった。症候群に関連する遺伝子についてはまったく未知だった。実際、知能指数に関する要領を得ない数本の論文を除けば、ウィリアムズ症候群についての資料はほとんど出版されていなかった。ある医学インターンは血中カルシウム濃度が高いことがこの症候群に与える影響について研究を始めた。このアイデアは、カルシトニン(calcitonin)遺伝子が作るペプチドが関係している可能性があるという仮説に基いて、ウィリアムズ症候群の遺伝子的背景を解明する導火線になった。しかし、この最初の試みは次に述べる事例ほど成功はしなかった。

最初の飛躍はその後の10年間に起こった。ベルージはNICHDやNINDSやNIDCDなどからの資金援助を受けて、ダウン症候群と比較しながらウィリアムズ症候群の認知と脳に関する基礎を研究することも目的のひとつとする研究室を発足させた。彼女はウィリアムズ症候群の興味深い表現型のベールをはがし、その結果を一連の論文にすることでウィリアムズ症候群に対する関心を集めていった。1993年に2つ目の飛躍があった。ウィリアムズ症候群の微小欠失にはエラスチン遺伝子が含まれていることが判明した(Ewartら,1993;Bellugi & Morris,1995)。ウィリアムズ症候群の研究に分子遺伝学という新たな枝が付け加えられた。誰がその研究を行うのだろか? ベルージがソーク研究所で築いてきた経験を元手に、彼女は認知と脳と分子遺伝学の成果をまとめあげることができた。長年にわたってウィリアムズ症候群患者を研究し、ウィリアムズ症候群クリニックを設立し、地域レベルから全米レベルに至る家族グループの集まりを組織し、サポート団体が発行するニュースレターに定期的に寄稿したのち、1994から1995にかけてベルージとその同僚はNICHDの協力を得てその種のプロジェクトとして初めてのプログラムを開始した。それは遺伝子に起因して表現型が明確になっている症候群を、認知科学・神経解剖学・神経生理学・分子遺伝学の異なる分野にまたがって研究することであり、単なる精神遅滞に関する研究ではない。彼女はそのプログラムに参加する科学者のチームを作った。彼らの研究成果はこの本に収録されている。この本の特徴は、認知からはじまって脳の構造・脳の機能・分子遺伝学に至るすべてのレベルの研究が、同一のウィリアムズ症候群患者達に対して行われていることである(細胞構造に関する研究は例外)。科学者のチームは協力してウィリアムズ症候群に関する同じプログラムプロジェクトに参加した。図2(省略)はこの本の各章で紹介されているこのプログラムの各グループを示す。

この本を紐解けば、ウィリアムズ症候群がいろいろな意味で特別な症候群であることがわかるだろう。ジョナス・ソーク(Jonas Salk)は、「才能が産まれつきの障害だったということを初めて知りました」と語った。この言語能力と知能指数の食い違いは人々を驚かせ、この症候群のことを聞いた大多数の人は実際にウィリアムズ症候群の人に会うまで懐疑的であった。彼らに備わっている素晴らしい言語能力はウィリアムズ症候群であることはどういうことかを他人に知らせるための「窓」を明けることになり、その窓を通して精神遅滞をどのように感じるかについて雄弁に物語ることができる。彼らが使う言語の巧みさ、自分自身の感情との関連性、彼らが自分の感情を表現する能力は、ウィリアムズ症候群の患者と直に話さないと理解することは難しい。次に掲げる文章はベルージが32歳になる双子のウィリアムズ症候群の男性に対して行った面接結果からの抜粋である。最初の引用は双子の片方男性に、2番目はもう片方の男性に対してウィリアムズ症候群に関して世間の人達に何を望んでいるかという質問をしたときの答えである。

明瞭かつ雄弁に自分達のことを言葉で語ることに加えて、彼らは、別の自己表現方法すなわち、言語と同じくらい優れている「音楽」をよく用いる。ウィリアムズ症候群の人たちは、楽器の演奏や歌、そして他の人の演奏を聞くことも含めて、音楽に対する特別の愛情を持っているように見える。ウィリアムズ症候群と音楽に関してはたくさんの逸話がある。彼らの興味を引きつけると同時に、演奏する能力に関して何か特別なものがあることは事実である。くつの紐は結べないけれども、楽器を使って複雑なリズムや曲を演奏したり作ったりできる人が少なからず存在する。絶対音感を持つ人の割合も、普通の人に比べてウィリアムズ症候群の人のほうが多いようである。幾人かは一度聞いただけの曲をピアノで演奏できる。ある女性は22カ国語で1000曲以上を歌うことができる。我々が初めてウィリアムズ症候群と音楽が関連していることに気が付いたのは、ウィリアムズ症候群の女性がダウン症候群の男性のために作曲したラブソングだった。彼女の作った「sweet petuina(かわいいペチュニア)」は、とても胸を打つ歌である。

ウィリアムズ症候群の歴史

ウィリアムズ症候群はファンコーニ(Fanconi,1952)とイギリス人の心臓医ウィリアムズ(Williams, Barrett-Boyes, Lowe, 1961)によって別々に発見された。ウィリアムズという名称ついた由縁である。最初のうち、この病気はウィリアムズ・ビューレン症候群(Williams-Beuren Syndrome)や乳児性高カルシウム血症とも呼ばれた。1993年になって、ウィリアムズ症候群が7番染色体の微少な遺伝子群(7q11.23)の片側の欠失が原因であることが判明し、その欠失にはエラスチン・LIMキナーゼ・Frizzled・WSCR1・Syntaxin1Aなどをコードする遺伝子が含まれていた(Korenberg, Chen, Laiら,1997; Ewartら,1993)。この症候群は3万回の出産に1回の割合で発生する。ウィリアムズ症候群に頻発する身体症状には、心臓疾患(大動脈の狭窄)・エラスチン生成障害・高カルシウム血症などが含まれる。容貌は非常に特徴的で、「妖精」や「こびと」のようだと形容される。ウィリアムズ症候群の人たちは、自分の家族に似ているより以上にお互いにたいへん良く似ている。実際に、前に述べたウィリアムズ症候群の双子に対するインタービューの後半部分で、ウィリアムズ症候群のサポート団体の年次大会に参加して他のウィリアムズ症候群の人に会ったときにどのように感じたかを質問をした。彼らはお互いを除いて、ウィリアムズ症候群の人には会ったことが無く、30代になって初めて部屋一杯に集まったウィリアムズ症候群の人を目にした。部屋一杯のウィリアムズ症候群の人を見たときの最初の言葉は、「これは巨大なクローン人間の会議だ!」だった。

今日では、ウィリアムズ症候群向けの特別学級や音楽キャンプが各地で始まっている。知名度も向上している。ウィリアムズ症候群を取り上げたメディアには、国際的な出版社から出されている印刷物以外にも、ニューヨークタイムス、ディスカバー、ニューズウィークの記事、Nightlineや60 Minutes、Natinal Publicラジオ、民放やBBCの番組、これにはオリバー・サックス(Oliver Sacks)のプログラムが含まれる。科学者たちも人気メディアと同じくらいの熱心さで反応している。ジュリー・コーレンバーグ(Julie Korenberg)の言葉を借りれば、ウィリアムズ症候群を研究することは「遺伝学者の夢」であり、この分野の発展は驚異的なスピードで進んでいる。

認知から神経システムを経て遺伝子に至る統合研究プログラム

この本の各章の筆頭著者である科学者達は、それぞれNIHがスポンサーになっている大規模プログラムプロジェクトを構成する各プロジェクトのリーダである。NIHはこのプロジェクトを通じて、ウィリアムズ症候群を題材として高次認知機能、その基盤となる神経生物学的背景、その分子遺伝学的土台を結び学問分野を越える架け橋を作り上げようとしている。ウィリアムズ症候群は認知機能内に規則性を持った解離を呈することから、ある意味では理想的なモデルである。1章と2章では、アースラ・べルージとウェンディ・ジョーンズ(Wendy Jones)がウィリアムズ症候群の神経認知及び社会的性格について述べる。3章から5章においては、デボラ・ミルズ(Debra Mills)、アラン・レイス(Allan Reiss)、アルバート・ガラビューダ(Albert Galaburda)が、神経生理学的・神経形態学的・脳細胞構築的なアプローチを使ってウィリアムズ症候群を特徴付ける神経システムを描きだす。6章ではジュリー・コーレンバーグがウィリアムズ症候群における遺伝子構造の詳細と認知マップとの関連を探る。このように様々な分野の科学者が同じ症候群を共同で研究することにより、この本を構成する各章が有意義なものになっている。

第1章「ウィリアムズ症候群の神経認知プロフィール:長所と短所が描く複雑なパターン」(ベルージら)では、ウィリアムズ症候群の認知プロフィール内に存在する解離を紹介する。ウィリアムズ症候群の典型的な認知機能の全体像を詳細に延べ、正常な対照群、年齢と知能指数を一致させたダウン症候群のグループなどいくつかの対照的なグループとの比較も行っている。さらに、認知機能に関する発達年齢の目安も示される。これまで議論してきたように、ウィリアムズ症候群には魅力的な能力の数々が備わっている一方で、印象的な障害も存在する。言語処理能力と相貌認知能力がかなり維持されている一方、空間視能力は極度に劣っている。劣った空間視能力とほぼ正常な相貌認知能力という2つの視覚領域の能力がこの章で探求されるとともに、言語能力と他の一般的な認知機能の間の興味深い分離についても探られる。

第2章「超社交性:ウィリアムズ症候群の社会的及び情動的表現型」(ジョーンズら)では、ウィリアムズ症候群の劇的な超社交性という行動的プロフィールの異なった面を紹介する。ウィリアムズ症候群に備わる超社交性は、言語能力とあいまってしばしば彼らは精神遅滞ではないと人々に思わせることがある。彼らは社会的に前向きであり、かついとも簡単に会話を継続するので、会話の最中に誰でも知っているような、例えば太陽は東から昇るという事実を知らないことが判明しない限り、精神遅滞だということに気付かれない。数多くの実験、物語を語らせてその中に出てくる感情に関する言語表現を調べるテスト、見知らぬ顔の人に近づいていく割合、そして面談やアンケートによってウィリアムズ症候群の社交性が調べられている。実験の結果と陳述的なデータの両方とも、正常な対照群やダウン症候群や自閉症の人々とは好対照を成す。その差は顕著である。

第3章「ウィリアムズ症候群における相貌認知の神経生理学的マーカー」(ミルズら)では、ウィリアムズ症候群において比較的維持されている認知機能と脳活動の機構との関係を調べる。事象関連脳電位(ERPs)を使って、言語や相貌認知など比較的維持されていると思われている認知機能を司っているウィリアムズ症候群の人の脳機能が正常な人とは異なった組織化が行われているという仮説を検証した。すなわち、発達の初期段階で正常な脳と同じような組織化が行われているのか(つまり、正常だが脳の発達が遅れていることを示す)、あるいは、ウィリアムズ症候群の脳は異なる方法で情報を処理しているのであろうか? これまでに調査されている脳機能の発生における正常な発達変化の観点から、ウィリアムズ症候群における脳機能の異常を示す2種類の電気生理学的マーカーを発見した。相貌認知及び聴覚言語処理におけるERPsの異常な形態は、検査を受けたウィリアムズ症候群の子ども及びおとな50人以上のほぼ全員に見られた。それに比して、あらゆる年齢の正常なおとな・子ども・幼児、あるいはそれ以外のどのグループにもこれらのパターンは見られなかった。言語においても相貌認知においても、ウィリアムズ症候群の行動的成績が正常値に近ければ近いほど、異常なERPs要素がより多く観察された。

第4章「ウィリアムズ症候群の神経解剖学:高解像度MRI画像研究」(レイスら)では、ウィリアムズ症候群患者の神経像が分析され、正常な対照群と比較される。全体としては、脳や大脳の容積が減少しているが、小脳と側頭上部は比較的維持されていて、脳幹の容積は実質的に減少している。さらに、ウィリアムズ症候群被験者の大脳灰白質は正常な対照群と比べて相対的に維持されている。しかし、予想できる比率以上に白質の容積は減少している。両グループ間における個々の大脳葉容積の差も報告されていて、その結果とウィリアムズ症候群の分子遺伝学や神経認知プロフィールや神経生理学的側面との関係が議論されている。例えば、仮説に関して言えば、ウィリアムズ症候群の側頭上部領域にあって正常値以上の容積がある灰白質がウィリアムズ症候群の認知という観点から何に影響しているかが議論されている。

第5章「ウィリアムズ症候群の脳皮質の細胞的及び及び分子的解剖額」(ガラビューダ及びベルージ)は、解剖学的発見をこの症候群の遺伝学的側面と行動学的側面の両方に結び付けている。ガラビューダは解剖した献体から選られた神経解剖学的データを非常に詳細なレベルまで分析している。彼は構造的な差異を調べるために複数のウィリアムズ症候群患者の脳の皮質にあるほとんどの部位から選られた臓器断片を調査した。ウィリアムズ症候群の脳は次の4つのレベルで研究された:(1)全体的解剖(脳の形、皮質のしわ、非対象性)、(2)皮質の細胞構築的外見、(3)組織諸元測定(ニューロンのサイズと充填密度)、(4)免疫細胞化学的結果。共通的に見られた全体的な神経解剖学的発見は、中心溝の長さの異常であり、頭頂葉上部背側部比率や背側上前頭回比率の異常を含む背側中央域の立体構造の異常を生んでいる。ウィリアムズ症候群の脳では、横頭平面の非対象性の欠如、皮質のしわの異常、後部領域の短縮なども見られる。大部分の領域では細胞構築は正常であるが、第17野は細胞のサイズが大きく細胞の充填密度が低下している。これはこの領野のニューロンの接続が異常であることを示唆している可能性がある。遺伝子を神経の解剖構造と結び付ける試みを行い、染色されたエラスチンとLIMキナーゼの分子状態の観察を行った。両タンパク質ともウィリアムズ症候群で決失している領域に含まれている遺伝子から作り出される。

第6章「ウィリアムズ症候群のゲノム構造と認知マップ」(コーレンバーグら)では、ウィリアムズ症候群に見られるめずらしい神経認知機能が、なぜ遺伝子とヒトの認知の間を結ぶ架け橋になるのかを明らかにする。独特のゲノム構造はウィリアムズ症候群を病気だけではなくヒトの染色体進化の重要なモデルにする可能性がある。ウィリアムズ症候群は7番染色体の微少領域の欠失が原因で発生することが知られている。この欠失領域にはエラスチンをコードする遺伝子(ELN)を初めとて20個程度の遺伝子が含まれている。このウィリアムズ症候群領域は大規模な被験者集団に対して分析が行われ、彼らの神経認知プロフィール・脳の構造や機能も同時に調べられた。コーレンバーグらは、7q11.2領域のゲノム構造モデル、欠失構造、進化を描き出した。ウィリアムズ症候群は7番染色体のひとつの巨大な複製領域に依存し、ゲノム複製配列に隣接している。その一部は霊長類の進化の過程で複製された。典型的な欠失領域を持つウィリアムズ症候群では神経認知機能に関する遺伝子の刷り込みが発生している明確な証拠はないが、普通より小さな欠失領域を持つウィリアムズ症候群患者は認知表現型プロファイルの一部分を担う領域の候補になっている。このすばらしいデータは最終的に霊長類の進化とヒトの認知機能の仕組みを解き明かす手がかりとなる可能性がある。

この本に書かれている内容は、分野横断的な研究の組合せであり、認知機能と脳の構造と最終的には遺伝子までを結び付ける認知神経科学の中心的な課題を解き明かすすばらしい機会を与えてくれる。

ラ・ホヤ、カリフォルニアにて

アースラ・ベルージとマリー・セント。ジョージ(Merie St. George)はこの本の共同執筆者である。アースラ・ベルージはソーク生物学研究所認知神経科学研究室の室長であり教授である。マリー・セント。ジョージはカリフォルニア大学サンディエゴ校言語研究センターに所属する科学者である。



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