ポガニー家からのメール



新しくメーリングリストに参加された方の自己紹介です。ウイリアムスの子供の長所といわれ ている言語能力を伸ばすために、一時期ハンガリーからアメリカに家族で移住し、効果をあげ た家族から送られてきました。

−=− −=− −=− −=− −=− −=− −=− −=−

みなさん、こんにちは。

私たちもこのメーリングリストに新しく参加しました。ウイリアムス症候群の子供を持 った世界中の方とコミュニケーションできるので、このメーリングリストを見つけられた事を 大変うれしく思っています。私達はハンガリーに住んでいます。3人の子供のうち、真ん中の クリスティがウイリアムス症候群です。たぶん、クリスティ(13才)と共に得たユニークな経験 は、ウイリアムスの子供をお持ちのご両親達にも御興味があると思います。それでこの手紙を 書いています。(Terry様、もしこの手紙が興味あるものならば、"Heart to Heart" の "Williams Watch section" (注1) に掲載していただいてかまいません。)

クリスティは2番目の子供でした。つまり、彼女が生まれたときには、私達はすでに子 育ての経験者でした。妊娠中何の問題もなく、産後もすぐに産声をあげたので私達は幸福でし た。しかし、すぐに皆さんもよく御存じの「冒険」が始まりました。10日間黄疸が引きませ んでした。10年後に得た知識から考えると、彼女は典型的なウイリアムス症候群の赤ん坊で したが、その当時ハンガリーでは誰もウイリアムス症候群のことは知りませんでした。クリス ティはいつも発作的な腹痛を起こし、私達は休む暇のない日夜をくり返し過ごしました。10 ヶ月まで母乳で育てましたが、食事については多くの問題を抱えていました。よく泣く子供だ ったので、何人かの医者に診てもらいました。かかり付けの小児科医は「成長が遅いだけです」 といいますが、他の2人の子供と比較して明らかに大きな違いがありました。神経検査の結果、 若干の発達遅延の症状が見つかったのは8ヶ月の時でした。手の肥大がありました。寝返り(う つぶせから仰向けに)と、肘で上体を起こすことが出来ました。神経学的リハビリの処置は不 要で、経過観察を受けるよういわれました。精神運動発達に関しては、遅いけれども発達して いることが心理学的検査から明らかになりました。視覚機能と運動機能の協調には問題があり ました。手が腫れているため、器用さが幾分劣っていました。言語や体を使ったコミュニケー ションには、大きな遅れはありませんでした。彼女は、自発的にではなく、受動的にコミュニ ケーションを行なっていました。「なん語」の発声があり、特に刺激に対してはよく反応しま した。家族全員にとって最も大変だったのは、一晩通して寝るようになるまでに11ヶ月もか かったことです。

その後の2〜3年間は、耳の感染症と発達遅延が問題でした。2年くらいで視覚機能と 運動機能の協調は進歩しました。協調作用はさらにしっかりしてきました。手先の器用さも際 立って良くなりました。しかし、運動能力を必要とするような練習や課題を行なわせようとす ると、恐がったり拒絶を示したりする回数が増えてきました。彼女の発達の後れを取り戻すた めに毎日厳しいトレーニングをしたからでした。クリスティは、「遊ぼう」と声をかけるだけ で泣く事もありました。私達も、彼女の気分を変えられず、途方にくれていっしょに泣いてい ました。

しかし、努力した甲斐があって、自発的な能力獲得と受動的な能力獲得の間に、明らか な違いが見られるようになってきました。最大の収穫は、言語能力が年齢相応になった事です。 1才8ヶ月で文章を話すようになりました。トイレットトレーニングを始めました。しかし、 手順通りにトレーニングをした結果は、いい面悪い面両方ありました。上手にトイレができる ようになりましたが、いろいろな事に反抗するようにもなりました。(反抗期の年齢になった せいでもあります。)クリスティの知的能力は正常範囲の下から3分の1あたりでした。かわ いそうなことにクリスティは2才から4才までのあいだに、何度か入院しました。声門の下の 喉頭炎(Julie 様、私達は呼吸器系に問題があるといつも言われていましたが、幸いな事に今 は心配有りません)、耳の感染症、片側の扁桃摘出等を患いました。その後、心雑音がみつか り、最後に鼠径ヘルニアの手術が必要なことが判明しました。幼い時に何度も入院したことか ら、彼女は痛みとお医者さんを極度に恐がるようになりました。発達の度合も、入院するたび に逆戻りしました。それでも、彼女の笑顔・親切さ・のびやかさ・悲しんでいる人や傷ついた 人に対する純真な関心と心のこもった反応は、皆を魅了しました。「私達」は Peto Institute (ハンガリーにある有名な障害児のための病院:優れた治療を受ける為に、イギリスからも多 くの人が来院します)の「指導教育」を受けて歩けるようになりました。

3才の時から行き始めた幼稚園(アメリカのプレスクールと同じです)にもすぐ慣れま した。クリスティは、親切で誰からも愛され、いつでもすぐに友達(特に大人の)を作りまし た。音楽を聞く耳と比較的いい記憶力を持っていました。一方で、細かな手の動きや集中力、 予定を立てる能力等に引き続き問題があることも判っていました。そのため、1年生(1990- 1991)の時は、養護学校(1クラス10人)に通学しました。先生も生徒も好きになりました。 何かに失敗すると簡単にあきらめてしまう一方で、すでに習ったことは一人でも十分やれまし た。訓練の結果、粗大運動は年齢水準に達していました。このことは、努力を続けていく自信 になりました。例えば、3年かかって一人でブランコを漕げるようになりました。私といっし ょに水泳と自転車の練習を5年間やって、とうとう二人とも出来るようになりました。残念な ことに、彼女の運動機能は年齢の割にはぎこちないので、他の子供からからかわれることが難 点でした。訓練をいやがることもありましたが、経験を積んだ教師とならば、いっしょにやれ ました。

日がたつにつれて、クリスティの最大の長所は言語能力だということがわかってきまし た。そこで、彼女の発達を促し援助するために新しい言葉と文化を持つ環境を利用しようと考 えて、外国に行く決心をしました。私はガン研究の分野の生科学者なので、アメリカでポスト ドクター(博士過程卒業後も大学に残って研究すること)として働く道を見つけました。ニュ ーメキシコ州とバージニア州で、家族全員が3年間楽しくすごしました。クリスティもアメリ カの生活を楽しみました。アメリカとスペインとインドの言葉と文化を堪能しました。ウイリ アムス症候群の子供を持つご両親全員に、同じような体験をされてみることをお薦めします。 (Paul殿、ウイリアムス症候群の子供達の言語獲得能力はとても素晴らしいと思います)。他 の二人の子供は、まったく違った方法で新しい言葉を覚えました。長女は大人と同じように英 語を習いました。彼女は話す前に常に頭で考えました。クリスティは幼児と同じで、乾いたス ポンジのように新しい単語を吸収し、オウムのように何でも繰り返しました。そしてたった1 ヶ月で話し合えるようになったのです。クリスティの他の能力に関しても同じようなことが起 こりました。彼女はどちらの言葉も母国語と同様に読んだり話したりできます。最後に、ハン ガリーに帰国して、厳しい教育を行う学校で両方の文字の書き方を習いました。

アメリカでの最後の年にバージニア州で、大動脈弁上狭窄とウイリアムス症候群である との診断を受けました。不治の病だと聞いて、最初はショックを受けました。WSAのことを 教えてもらい、この病気に関する情報を集められるだけ集めました。診断を受けたことで、い ろいろな意味で安心もしました。暗中模索していた長い年月が終わり、明かりに向かって扉が 開かれた気がしました。この時期に WSA から受けた援助に励まされました。その援助は、ハ ンガリーにいる今でも手元に届けられる "Heart to Heart" でもたらされます。そのおかげで、 孤独感に襲われることもありませんし、言葉では簡単に言い表せないほど気持ちが楽にもなり ました。

診断から2ヶ月後に、クリスティの血圧が 200/160 まで急上昇しました。両方の腎動 脈に狭窄が見つかりました。クリスティの血圧はコントロールすることが難しいので、腎動脈 バイパス手術が必要でした。かわいそうに、クリスティは8時間の手術とその後数週間の入院 生活に苦情を訴えることもなく耐えました。手術後、血圧は管理できるようになりました。

3年後に帰国しました。外国へ行くことは楽しいことです。でも、故郷に帰って懐かし い土地や友達に会えることもまた素晴らしいことでした。でも、帰国後たった半年で大手術を しなければいけなくなりました。大動脈弁上狭窄による問題を解決するためでした。限界ぎり ぎりに相当する 65 Hgmm の圧較差が3ヶ月間続いていましたが、別の問題がでました。左心 室肥大の悪化と僧帽弁(左心房と左心室の間の弁)の問題です。これらが、心室内部の 200 Hgmm の圧力につながっていました。危険な状態だったので、命を救うためには手術をして 合併症の防止と心臓の負担を下げる必要がありました。 状態を詳しく調べる為に、血流状態の 検査(血管造影、カテーテル)をしました。状態は考えていたよりも複雑だったので、簡単な 切除手術ではすみませんでした。大動脈の基点部分と冠状動脈に解剖学的な異常がありました。 大動脈の血管壁が肥大していました。大動脈の基点が漏斗型ではなくただの管のようになって おり、内部には固い膜状の石灰化が見られました。冠状動脈はゆるい弧を描かず、急角度に曲 がっていました。この結果、人工血管を使った形成手術が行われました。大動脈壁の片側はそ のまま残されましたが、反対側は取り除かれて人工組織で覆われました。5時間かかりました。 心臓の圧較差も含めて正常な状態に戻りました。

幸いなことに、この最後の手術は大変うまくいきました。この夏の目標は、以前の体力 を取り戻すことでした。毎日、体操・マッサージ・水泳をしました。彼女の体力は、一連の手 術を受ける前のニューメキシコにいた当時(思春期前)と同じ程度まで回復しました。しかし、 まだ十分な動きはできません。次の目標は思春期に見つかった整形外科的症状を治すことで、 いま真剣に取り組んでいます。しばらくすれば、いい結果が得られると期待しています。勉強 も日課です。昨年、クリスティは学校にいるより長い間病院に居ました。知識は十分だと思い ますが、算数が非常に苦手です。最後の手術が終わったこの夏、休憩なしで 1/2 マイル(およ そ 800m) を泳げるようになったことがクリスティの自慢です。

これが現状です。私は、最も大切な目標、つまりクリスティが幸せに暮らせることが実 現できると考えています。皆さんの場合もそうであるように祈っています。ハンガリーの近辺 には「ウイリアムス症候群の仲間」はあまりたくさんいないと思いますので、私達の国に来ら れる方がおられましたら援助の手を差し伸べたいと思います。

ご自愛下さい。 Pogany 家より
(Susan と Gabor 著)


(注1) "Heart to Heart" の "Williams Watch section"


−=− −=− −=− −=− −=− −=− −=− −=−

ここまでは出来なくても、私達もなにか「言葉」に関係する能力を伸ばしてやれないかと考え ています。英会話(多分、会話までは行かないでしょうが、英語を母国語とする人の発音を聞 かせるだけでも)をさせてみようか、あるいは、手話を覚えさせようかと漠然と考えています。

(1997年3月)

目次に戻る