我が家の出来事



杉本裕子(1997年7月)


息子の名は紘輔  平成元年10月12日生まれ 7才 小学2年生 2男

<紘輔が受けた主な検査と手術歴>

紘輔は、毎日元気に兄(小5)と一緒の学校に通っている。「よくここまで頑張った なあ」という思いが、今の率直な気持ちだ。しかし幼少期のことを今いろいろ思い出して も、不思議とあれほど大変だった育児や先の見えない毎日の記憶がうすれているのに気が 付く。まるでお産の苦しみは忘れられるように。あの頃は、夢中だった。なにより自分ひ とりだけがこの世の中で苦労しているように思えていたが、病院・療育施設、そして幼稚 園で知り合えた人達と話しをするうちに、人はそれぞれ大なり小なり悩みを持って生活し ていることを知り、他人と比べてはだめだ、この子はこの子なりの成長を見てあげようと 思えるようになった。紘輔が小学校入学を控えている時、主人の転勤があり三鷹市へ転居 することになった。紘輔は、以前住んでいた千葉市にはなかった通級学級を併設する普通 学級へ入学することになったが、兄の方は友達と離れるのがいやで転居に反対した。なん とかなだめて転居してみたものの、高学年での転校は難しかった。なかなか仲良しの友達 ができなかった。外向的・社交的な性格の紘輔は新しい友人を作って遊びに行くのに、兄 の方は一人家でファミコンの日々。紘輔のことよりも兄のことで心配するとは・・・。人 生何がおきるかわからない。障害があるから苦労するとか、障害がないから大丈夫という のは一概には言えないと感じた。(あれから一年余り経ち、クラス替えもあって兄もやっ と気の合う友達と出会い、私も一安心。)

通級学級というのは、通常は普通学級に在籍し、1週間に1日ないし2日程度普通学 級を離れ、社会生活に必要な事を一対一に近い形で指導してもらうクラスである。今の紘 輔にとって恵まれた環境だと感謝している。一方普通学級の担任の先生に理解してもらえ るまで随分時間が必要だった。幼稚園の時と同じようにクラス役員を引き受けて、先生と 親しくなる作戦を使うことにした。受け身で待っていても、道は、開けない。積極的に幼 稚園や学校と関りを持つ事で、だんだんと先生と意志の疎通ができてきた。家庭学習(授 業のやり残しと宿題)などは、先生と相談して紘輔のペースで量を決めて私と一緒にやっ ている。最初のうちは、何とか遅れないようにあの手、この手でやってみたが、そのうち 「宿題」という言葉を聞いただけで、逃げて行くようになった。紘輔のペースにしてから は、量も少なくなったせいか毎日少しずつ頑張っている。私もすごく気が楽になった。達 成感が得られるような方法で少しずつ積み上げていくことにした。漢字を5回書くとした ら、「あと2つ」「あと1つ」と声をかけながら、5つ書き終えたら二人で「出来たー。 やったね」と喜んだり、計算がうまく出来たら「紘ちゃん天才」と言ってみたりして、また やってみようという気にさせるようにした。うまく行く日もあるが、全く駄目な日もある。 そんな時は、どうしてやりたくないのか訳を聞き、明日やることを約束させる。約束を守 ることは、学校生活そして社会生活をしていく上で大切な事だと思うがそれがとっても難 しい。友達と放課後に遊ぶ約束をしてくるものの、家に帰ってきてテレビ番組など別の楽 しい事に気を奪われると遊ぶ約束をすっぽかしてしまう。約束を守らせる何か良い方法は ない物かと思う。

紘輔が生まれて7年半になるが、まだまだ毎日が発見と冒険の日々である。これから 高学年になっていけば、抽象的な概念を勉強したり、同年齢の友達が精神的に発達してい くなど、紘輔にとって難しい時期になると感じる。その時でも、紘輔が持つ天性の物を失 わせないようにしていきたいと思う。とにかく、大切な事は親が前向きで、身心とも健康 でいられることだと感じている。

目次に戻る