Kristopher Michael Keen(1/4/93 - 12/27/96)
"Heart to Heart" by WSA Volume14 Number 3 - December 1997 Page 31
1992年はとても楽しいクリスマスでした。息子が生まれてくるのを心待ちにしてい
ました。1993年1月4日にクリスは生まれました。この時から幸せと恐怖のジェットコ
ースターが始まりました。クリスは予定日より4週間早く生まれたので、肺の機能が未完成
でした。そのために最初は保育機に入っていましたが、3週間で家に帰ることができました。
その1週間後、クリスは4回の心臓発作を起しました。その夜一晩も持たないかもしれない
と宣告されましたが、おかげさまで回復し始めました。この時に、クリスはウイリアムス症
候群であると診断されました。とりあえずの難問である、クリスを退院させて家に連れて帰
るということに全精力を注ぎました。 3週間半後に退院できましたが、1日10回、6種類
の薬を飲む必要がありました。忙しくて、心配な日々でした。
クリスは食べ物を上手に飲み込めませんでした。一度に食べられる分量に分けて何度も
何度も食事をさせました。クリスは早期特別療育を受けることになり、私たちはウイリアム
ス症候群について勉強を始めました。
クリスはこの症候群が持つ典型的な発達遅滞がありました。お座りが6ヶ月、寝返りが
7ヶ月、歩いたのは18ヶ月の時でした。クリスの言葉ははっきりせず、自分流の不明瞭な
言葉を話していました。当時彼が話せたのは「ハイ、バイバイ、イエス、ノー」だけでした
が、他人の言葉や彼に対する質問は全部理解していました。彼は人と交わることが好きでし
たし、誰もがクリスを好きになりました。彼は楽しい少年であり、いつでも笑顔をふりまい
ていました。車輪がついている物に興味があり、ビデオデッキを扱うことが好きで、ビデオ
テープを見ることも好きでした。音楽も大変気に入っていました。
心臓発作のときに左心室の後壁が破壊されていました。心臓の定期検診のために頻繁に
病院に通いましたが、クリスがとても元気になったことに医者は皆驚いていました。彼は、
歩き、しゃべり、遊び、3才の子供達と同じような困難に遭遇していました。私たちは、ク
リスが完全に心臓疾患を克服したと信じていました。
しかし、状況は突然変わりました。1996年8月に発作が始まりました。恐ろしいこ
とでしたが、投薬でなんとか症状を押さえていました。10月に入って、MRIの結果から、
クリスの心臓が弱ってきていることが判明しました。恐怖に打ちのめされました。私たちは
心肺同時移植の待機リストにクリスを載せてくれるように医者に頼みました。クリスは可能
な限り私たちと一緒に家で待機することになりましたが、その間悲しいことに、陽気で元気
だった少年がだんだんと弱っていくところを目の当たりにしました。彼は一生懸命笑おうと
していましたが、できませんでした。12月21日まで自宅で過ごしました。その後、心臓
に直接薬を入れる為の手術が行われました。しばらくは効果がありましたが、私たちの勇敢
な少年にはもはや戦う力は残っていませんでした。1996年12月27日、クリスは召さ
れて行きました。
クリスが病気だった間(信じたくはありませんでしたが)にたくさんの人たちに会いま
した。医者にたくさん質問をし、同時に私たちの意見を伝えることの大切さを学びました。
この間に、ウイリアムス症候群とそれに起因する問題について知ることができました。私た
ちが学んだ中で一番大切なことは、「人間のありのままを受け入れるべきだ」ということで
した。おかげで、クリスを理解し愛することができました。クリス担当の小児科医のヘイマ
ン先生や心臓専門医のバーガー先生はずっと我々を援助してくれました。彼らのおかげで、
4年間という短い時間でしたがクリスは我々と一緒に過ごすことができました。
私たちは、これからもWSAとウイリアムス症候群の子供達を援助し続けます。しかし、
私たちの当面の目標は、ウイリアムス症候群であろうがなかろうが、すべての人が移植待機
リストに載る権利があることを明確にすることです。クリスはウイリアムス症候群を持って
いるため、移植待機リストには登録できないと言われたときの衝撃は忘れられません。幸い
なことに、クリスをリストに入れてくれるという医者を見つけることができましたが、クリ
スに残された10週間という短い期間では移植臓器は見つけられませんでした。私たちの願
いは、皆さん全員が運転免許証の裏に「命の贈り物をします」という署名をしてくれること
を考慮してもらうことです。
愛をこめて
Gary, Sue, Nick and Michael Keen
(1998年5月)