パトリシア



Patricia

アイルランドに住むオリビア・モイラン(Olivia Moylan)さんの体験談です。原文は、 モイラン家のホームページにあります。

(1998年5月)

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パトリシア・ローズ・モイラン(Patricia Rose Moylan)は1988年5月5日、ホ ールズ通りの国立産科病院で生まれました(ジョンも1995年10月にここで生まれまし た)。 予定日から2週間遅れていましたが、体重は5.5ポンド(2.5キログラム)しか ありませんでした。アプガースコアは9/10でしたが、ミルクの飲みが悪いため、保育機 の中に2日半入っていました。母子ともに5日間で退院しました。パトリシアは明らかに小 柄でしたが、それ以外は健康な赤ちゃんでした。小柄な子供はミルクをあまり飲まないもの だと言われましたが、確かめてみたところ、彼女は一日に18オンス(500g)のミルク を飲んでいました。これが彼女の食事についての悩みの始まりでした。3時間おきにミルク を与えましたが、一時間かけて2オンス(50g)くらいしか飲みませんでした。

数週間が過ぎて、事態は少し良くなりました。問題といえば、5週目に鼠径ヘルニア の手術をしたことぐらいでした。固形食はスムーズに始められ、同時にミルクの量を減らし ました。彼女はミルクが嫌いなようでしたが、カルシウムが必要だ(!?)と言われていた ので、数杯のfromage frais(低脂肪のソフトチーズ。砂糖とフルーツピューレで甘くして ある)が食事に欠かせないものになりました。今なら彼女の軽い嘔吐反射(gag reflex)の ためだとわかっていますが、当時は単に飲み込める量が少ないせいだと思っていました。彼 女はかんしゃく持ちでよく腹痛を起していました(夜はそれこそ大事で、それが5才6ヶ月 になるまで続きました)。今考えてみると、お座りも笑うことも遅かったようですが、初め ての子供だったので、そのことにはまったく気がつきませんでした。ジョンが先に生まれて いれば、パトリシアが普通ではないことがもっと早くわかったでしょう。彼女の発育の参考 にならなかったので、私たちは育児書を捨ててしまいました。しかし、彼女は成長曲線上の 10パーセンタイルに位置しており、体重増加に関しては注意を要する子供でした。彼女の 腹痛や消化に関する問題を地元の小児医院でくり返しくり返し聞いていましたが、「もし消 化器系の病気があるなら、今のようには育たないものですよ」と、いつも軽くあしらわれて いました。

9ヶ月になった時、食べなければいけないものは自分で食べるだろうと思って、パト リシアに無理やり食べさせることを止めました。体重が減り、3パーセンタイル(それまで の間、欲しがってもいないものを無理に与えなければ、最初からずっとこの位置にいたと思 います)に落ちました。地元の小児医院は、パトリシアが生まれた時に診察を受けた小児科 医を再度訪ねるようにと言いました。「はいはい」もまだ出来ませんでしたが、問題だと思 っていませんでした。そのうちにできるようになると思っていました。(実際は、1才でや っと「はいはい」ができ、1才8ヶ月で初めて歩きました。)

それからは、クラムリン(Crumlin)子供病院の小児科で定期的に診察を受け、彼女が 小さい原因を調べるための様々な検査が行われましたが、何もわかりませんでした。発達の 遅れもこの時期に気になりだしました。そうこうしているうちに、2才6ヶ月になって最初 の心理テストを受けました。テストを受けるように言われた時には、ぞっとしました。前か ら持っていた精神障害児のイメージが浮かんできたからです。2才6ヶ月の時点で、1才6 ヶ月程度だと評価されました。その後数年にわたる検査で、発達の不均等さが浮かびあがっ てきました。言語や社会的能力は常に正常値を示し(事実、彼女のはっきりしたものの言い 方のおかげで、初めて彼女と会話をした人や、小柄な体格から彼女を実際よりずっと幼いと 思った人達は、「なんてお利口な子供でしょう」と私に言います)、推量する能力は悪くあ りませんでした。一方で身体運動能力は遅れており、微細運動能力は最低レベルでした。4 才の時にアイルランド・サンディマウント(Sandymount)クリニックの脳性麻痺向け理学療法 を受けるように紹介され、自宅で彼女と一緒に行う療養プログラムを受け取り、協調運動の 改善に取りくみました。

5才の時に、発達状況と顔の特徴からウイリアムス症候群だと診断されました。小冊 子をもらって読むまで、信じられませんでした。WSAI(アイルランド・ウイリアムス症 候群協会)を探し出して(診断を受けた時にはサポートがほとんどなく、自分達で探さなけ ればいけませんでした)、ありったけの資料を入手した時に、すべてのことに納得ができま した。「彼女はなぜ騒音が嫌いなのか? なぜ上手に手を使えないのか? なぜ下の前歯が3 本しか無いのか? なぜヘルニヤになったのか? 等など」についてです。発達や行動に関 する資料を初めて見た時、そこにはまさしくパトリシアのことが書かれていました。私たち が彼女の発達のじゃまをしたのではない、とわかったことでとても気持ちが楽になりました。 さらに、ウイリアムス症候群の子供達に対する教育方法に関する資料は、彼女の勉強の助け になりました。

ウイリアムス症候群と診断された時、腹痛を伴って夜中に目が覚めるというパトリシ アの問題は、高カルシウム血症が原因ではないかと考えました。しかし、検査の結果ではカ ルシウムレベルは正常で、腎臓や膀胱の超音波検査からもカルシウム沈着は認められません でした。この時点で私たちはこの問題を調査してくれるように要望し、検査の結果、ラクト ース(lactose:乳糖)とグルコース(glucose:葡萄糖)に耐性が無い(intolerance)ことが指 摘されました。乳製品とグルコースを多く含む食品を制限することで問題は解決しました。 心臓と腎臓の検査には問題が無く、パトリシアはウイリアムス症候群の身体的合併症の調べ る定期検査を受けています。

パトリシアが診断を受けた時、今でも通っているモンテッサリー・スクールに既に入 っていました。自宅の近くにこのような学校があり、年長クラス(6才から9才)を持って いることはとても幸運でした。クラスの人数は少なく、ウイリアムス症候群の特徴である気 の散りやすい性質にとっては最適です。彼女はよく進歩しており、読む能力は1年から1年 半遅れです。暗算による足し算(小さな数ですが)や字を書く能力にはまだまだ問題があり ますが、そのうちに出来るようになると信じています。今度の9月には、チャーチタウンの グッドシェファード国立学校の特殊教育コースに入学します。

パトリシアは、ハッピーで健康で、もうすぐ9才になります。彼女はサンディマウン トCPIの水泳教室に通い、ガールスカウトに参加し、リーゾン・パーク音楽学校で Kodaly and Colourstrings 法によるピアノと音楽を習っています。ウイリアムス症候群の人が持 っていると言われる、すばらしい音感とリズム感があります。曲をすぐに覚えてしまうため に、楽譜はちらっとしか見ません。作曲もします。ピアノを弾くことは指の訓練になり、字 を書くことがうまくなりました。協調運動とバランス感は進歩しており、一年前に補助輪な しで自転車に乗れるようになりました。今はもっと大きな自転車に乗れるようになりました。 彼女は昨年の4月に洗礼(? First Communion)を受け、その儀式の時に、聖書の詩編(the Responsorial Psalm)を間違えずに読みました。このページのカットに使っているひまわ りは、パトリシアが育てたものです。

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