記憶に残る夜



A Night To Remember

By Marion and Kevin Riley
"Heart to Heart" Volume 15 Number 1 May 1998, Page 25-26

この文章は、ビラ・エスペランザ チャリティ(Villa Esperanza Benefit)で行われ たマリオンの講演テキストの一部です。ウイリアムス症候群の子供と人生を歩む間に、私 たちの多くが感じるいろいろな感情をマリオンは端的に表現してくれています。

今夜お集まりの皆さんも絶望を感じたことがあるでしょう。私たちは、普通の健康な 子供を授かるものだと思っていました。出産すれば、夢がかない、子供を受け入れ、幸せ と生産的な未来が約束され、大学を卒業し、有意義な仕事を求め、結婚し、子供すなわち 私たちの孫を持てると思っていました。しかし、やがて私たちの子供は「普通」ではない と知らされます。この告知は、普通で健康だと考えていた私たちの子供に対する「死」な のです。これ以後、いろいろな目安(マイルストーン)を達成できないことで、私たちは 何度もこの「死」の感情を経験します。

何度も何度も、私たちは生まれるはずだった子供を失ったことを嘆きます。絶え間無 い悲しみの一方で、子供のために彼らを徐々に受け入れ始めます。私たちは、私たちの基 準ではなく、子供達の基準で幸せというものを判断することを覚えます。

障害を持った子供達と暮らすことの困難さにも関らず、私たちの多くは神に祝福され ていると感じています。つまり、理由があって彼らは私たちの所に送られてきたのだと。 彼らのおかげで、私たちは目と心を開かれるのです。私たちはすばらしい新しい友人達と 知り合うことができますが、「子供達のために出来ることは何でもやろう」という共通の 絆を分かち合うことがなければ決してこの人たちと出会うことはなかったでしょう。今夜 ここで皆さんが目にされているように、我々の家族と友人達は、愛情と援助とともに私た ちの回りに集まってくれているのです。

すべての瞬間が貴重であり、一日一日を大切にすることを学びました。私たちの特別 な子供達は、一番大切な贈り物、すなわち人生のすべてに感謝する気持ちをくれました。 どんな小さなことでも、無視したり祝えないことはありません。

最近パーティに出かけた時のことですが、主人と駐車場を歩いていると、2才半くら いの女の子の「おかあさん、見て見て」という声が聞こえました。彼女は誇らしげで、母 親もきっとそう感じると思っていたようでした。その女の子は、片足で立って、もう一方 の足をまっすぐ横に上げて数秒間バランスを取っていました。しかし、彼女の母親は目も くれませんでした。一方、私は主人の手を握り締め、「あなた、彼女はたった今見過ごし たことが、どんなにすばらしい進歩だったか気が付いていないのよ。」と言いました。 例 えば、私たちの娘は、今4才半ですが、週に5回の理学療法や作業療法を2年6ヶ月間も 受け続けているのに、未だに片足では立てないのです。

娘が1才4ヶ月になったとき、ウイリアムス症候群の疑いがあると言われました。こ の病気は、稀に起こる遺伝子の突然変異が原因で、心疾患・精神遅滞・身体障害と特徴的 な容貌を持っていることがあります。初期診断による動転も静まらないうちに、心臓医か ら手術が不能な心臓疾患があると言われました。チアノーゼ・息切れ・動悸等の兆候が出 ていたので、私たちにはあまり時間が残されていないことがわかりました。肺動脈の重度 の狭窄のために、彼女の心臓は働き過ぎの状態でした。「新しい手術法と経験を積んだ外 科医が現れることを祈りなさい。さもなければ、5才の誕生日を迎えられないでしょう」 と言われました。

医者の言う結末を信じたくはなかったので、同じ症状を持った子供の親達から積極的 に情報を集めました。その結果、最初はアメリカ東部や中西部の都市で医者を探しました が、結局家のすぐそばのロスアンジェルスこども病院で最高の心臓・肺の専門医を見つけ ました。バーン・スターンズ医師(Dr.Vaughn Starnes)は、娘のカテーテル検査のテープ を見た後、肺動脈の狭窄を取り除くための肺移植をしなくても、心臓の過負荷状態を改善 できると思うと言ってくれました。

娘の手術の日、5〜6時間の手術になると言われて外で待っていました。娘が手元を 離れてから3時間立った頃に、スターンズ医師が出てきました。それを見た時に、色々な 思いが頭の中を駆け巡りました。「ここで今何をしているの? 私たちの赤ちゃんために、 手術室にいなくてはいけないのに? 難しい合併症があったのかしら? それとももっと悪 いことが…?」

手術が成功しただけではなく、一晩にして娘に関して大きな違いがありました。スタ ーンズ医師は、娘に未来を、私たちには希望を与えてくれました。私たちの子供には誕生 日が2つあります。彼女が生まれた日と、1才6ヶ月の時、スターンズ医師の奇跡的な手 術で生まれ変わった日です。

1997年11月16日は、娘のマリオン・テレサ(Marion Theresa)がウイリアム ス症候群だとわかってからの3年間の旅路の中で最も幸せで、最も記憶に残っている日で す。当時は一人っ子だった娘が手術不可能な心臓病(肺動脈の重度の狭窄)と言われた絶 望の淵から、娘の命を救ってくれた医師への喜びを分かち合えるところまで戻れた日なの です。

小児心臓外科医として世界一の腕前を持つバーン・スターンズ医師は、ビラ・エスペ ランザの第4回チャリティ・オークション「Hope from The Heart」の名誉会長に選ばれま した。(ビラ・エスペランザはカリフォルニア州パサディナ市にある、発達障害を持つ子 供達のための学校で、マリオンは1才8ヶ月の時から通っています。) 映画俳優のアー ノルド・シュワルツネッガーが、子供達の命を救ってきたことを称えて、スターンズ医師 に賞を送りました。シュワルツネッガーは、以前スターンズ医師の患者だったことがあり、 長期間にわたるスペシャルオリンピックへの貢献を通じて障害を持つ子供達の熱烈な援助 者でもあります。

チャリティの3日後、マリオンは定期的な超音波心臓検査のためにロスアンジェルス こども病院を訪れました。検査の結果、右心室の血圧が70以上(正常の2〜2.5倍) になっていました。つまり、また肺動脈に血液が正常に流れていないことを示していまし た。マリオンの2回目のカテーテル検査の結果、スターンズ医師が拡張した場所のすぐ先 の肺動脈が狭くなっていることが判明しました。狭窄は第2枝が重度でした。しかし、狭 窄は極端に狭くなっていなかった上に拡散していたので、血管形成手術やステントの対象 にはなりませんでした。マリオンには兆候が出ていないし、心臓もこの血圧に絶えられる ほど丈夫になっていたので、この時点では狭窄の拡張を目的とした難しくて危険な外科手 術を行うことは見合わせました。

肺動脈狭窄は年齢とともに快方に向かうことが多いと聞いています。同じような経験 をお持ちの両親や医師や研究者で、マリオンの症状に役立ちそうな知識をお持ちの方がお られれば、歓迎致します。リリー家(Rileys)まで電話をください。(626)795-9077

(1998年8月)



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