(1999年6月)
Liam's Story
生まれてから2週間後に、授乳するたびにジェット噴流のような嘔吐が始まりました。
40度を超える暑い日が続いたので、脱水症にならないかと心配しました。病院に電話を
かけると、「すぐに小児科につれてきてください」と言われました。ジミー(Jimmy)の仕
事場に電話をかけて、泣きながら「すぐに帰ってきて! ライアムの様子がおかしいの」と
伝えました。
病院では、小児科、超音波診断、そして小さな腕への点滴などで、私は我を忘れそう
でした。ジミーも同じでしたが、彼の存在はわたしたち2人にはとても心強く感じられま
した。「この子はどこが悪いのでしょうか?」と尋ねました。「この子は胃の中のミルクが
腸に降りていかない幽門狭窄なので、手術が必要です。手術は胃の下の筋肉に小さな切れ
込みを入れるだけです。すぐによくなりますよ」と医者が言いました。
これがライアムの際限のない病院通いの始まりでした。乳の飲みが悪く、乳を吸う事
もへたで、いつも嘔吐し(寝巻きではなく涎掛けを使いきっていました)、いつもおなかが
痛いようで、文字通り自分から逃げ出したい様な感じで私の体に這い上がり、昼も夜も泣
いていました。彼が夜7時に寝てくれた時は、私達もベッドに入りました。一時間毎に目
覚めるていように感じました。日が経つにつれて、面倒を見るのがたいへんになってゆき
ました。「ただドアのそばにおいて泣かせておきなさい。その間庭に行って放っておけばい
い」とみんなが言います。やってみようと思いましたが出来ませんでした。何か痛がって
いるようですが、私達以外には感じられないようでした。
私達にとって初めての子供だったので、そのように感じたのかもしれません。経験が
なかったのです。ライアムは3ヶ月を過ぎるまで笑った事はありませんでした。その後で
もめったに微笑みませんでした。本当の意味で笑ったのは2才のときが初めてでした。1
才9ヶ月まで歩きませんでした。1才でママ・パパと言えましたが、2才まで話せる言葉
はその2語だけでした。その後話せる単語が増えていきました(鳥・犬・ビーチ・ハロー
など)。階段はまだ苦手で、上るのも下りるのも四つん這いでした。
彼は2才になっても夜中に起きて泣きました。同じ年齢の子供に比べていろいろな面
で遅れているように思いました。看護婦の友人は病院で再検査をしたほうがいいと助言し
てくれました。保険所に勤めるその看護婦がDenverテストをしてくれました。与えられた
テストをすべてに失敗しました。彼女は小児科医に見せるべきだと言いました。私は2人
目の女の子を3ヶ月早産で産んだばかりでした。妊娠中は大変でしたが、彼女が無事だっ
たので安心しました。ライアムを産んだ時とは違った小児科医にかかっていたので、ライ
アムをこの医者に見せることにしました。ライアムはちょうど3才の誕生日を過ぎたとこ
ろでしたが、ライアムを医者に見せたとたんに、医者は「ライアムはウィリアムズ症候群
の疑いがある」と言いました。専門書に掲載されている何枚かの写真を見せてくれました。
正直言ってショックでした。「心臓に問題があることが多いので、ライアムも心臓を調べて
見る必要がある」と医者が言ってライアムをベッドに寝かせました。「やはり心雑音があり
ますね。エコーで検査してみましょう。あす予約を取っておきます。また遺伝科の予約も
入れておきましょう。そこで血液を採取することになりますが、ウィリアムズ症候群に関
して詳しく教えてくれるでしょう」。
胃が痛みました。「あの子の心臓が!?」、かわいそうな我が子、どうして誰も心雑音
をみつけてくれなかったの? どうして誰もウィリアムズ症候群のことを教えてくれなか
ったの? これからどうなるの? ジミーも同じように心配しました。「医者は他に何か言
わなかったかい?」と私に質問し続けました。「それで全部よ」と答えました。
ライアムは心エコー検査を受けました。「だいじょうぶ。今は問題ない」と医者が言い
ました。「『今は』! それはどういう意味ですか」と尋ねると、「年一回定期的に調べる必
要があるという事です」と医者が答えました。相変わらず、幾分かの安堵感と当惑感を同
時に抱いたまま帰宅しました。次の日、ジムは図書館に出かけました。「見てごらん。イン
ターネットでこんなものを見つけたよ。」と大きな声で言いました。「とうとうアメリカの
ウィリアムズ症候群協会の資料を見つけたよ。まるでライアムのことが書いてあるみたい
だよ。授乳の問題、発達目安の遅れ、年齢の割に小さい事、なれなれしさ。…なんと、軽
度から中程度の精神遅滞」。読み間違いであってほしいと何度も何度もその資料を読み返し
ましたが、明確に記述されていました。私達はただ座って小さな我が子をただ見つめてい
るだけでした。心が痛みました。
遺伝科の医師はライアムに話しかけ、彼を調べました。「これからFISHテストとよば
れる血液検査をします。結果が出るまでに12週間ほどかかりますが、私の経験からして
彼はウィリアムズ症候群にまちがいないでしょう」。ジミーが「つまり、息子は精神遅滞だ
ということですか?」と尋ねました。「そうですね、軽度から中程度の精神遅滞の範囲だと
言われていますが、彼がどの程度になるかは大きくなってみなければわかりません。」と答
えました。
病院の建物を出た後、ジムにどう思っているか聞きました。「そうだね、良くわからな
いよ。これまでに読んだ資料に書いてあった事以上に理解できたとも思えない」と答えま
した。私も同じでした。
乳母車の中の子供を見つると、涙が湧き上がってくるのを感じましたが、泣いている
時でも場所でもなかったので、血液検査に向かいました。
8週間後、待っていた血液検査結果を受け取りました。そこには「リチャードソンご
夫妻殿(Mr and Mrs Richardson)、血液検査結果、ライアムはウィリアムズ症候群であるこ
とが判明しました」と書かれていました。そうではない事を強く望んでいましたが、その
事実を目の前に突きつけられたことで、少し落胆しました。しかし、このことで全身全霊
で我が子を愛する気持ちは変わりませんでした。
現在ライアムは4才で、特別教育機関(the Special Education Department Unit)に
週2日通って、言語療法・作業療法・理学療法を受けています。普通の保育園にも週2日
通園しています。どちらも大変気に入っているので、いつも家に帰るのをいやがり、控え
めに言っても悪夢のような場面になります。泣き、床に倒れ、金きり声をあげ、叫び、出
来る限りの反抗的態度をとります。どこかから帰らねばならないときにはいつでも彼はこ
うなりますが、この行動はその場に居合わせた人をひどく驚かせます。彼は自分をそのよ
うな状況に追い込みますが、どうしていいのかわかりません。どこにも出かけないのが一
番いいといつも感じています。
私達はライアムを胃腸科につれて行きました。内視鏡検査の結果、下腹部に病気があ
ると言われました。そのために、彼は小麦・グルテン・大麦・麦芽・ライ麦・カラス麦を
食べられなくなってしまいました。食べ物を作る事が大変面倒になりました。これも難問
のひとつです。
続く。