ジェシカの物語



オーストラリアのクイーンズランドにあるウィリアムズ症候群のサポートグループ (Williams Syndrome Support Group of South East Queensland)の ホームページに掲載 されていたお話です。翻訳の許可をもらいましたので紹介します。
(1999年6月)

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JESSICA'S STORY

ジェシカは1993年2月25日にタウンズビル(Townsville)で産まれました。女の 子だったので主人と私は大喜びしました。体重は2Kgで映画のETの妹のように見えまし た。とても幸せでした。既に上にはりっぱな男の子が2人いて、今度は女の子だったので 完璧な家族になったと感じていました。

私たちは完全で完璧に不幸な家族だと言い始めるまでに、たいして時間はかかりませ んでした。これは最初の一年間を的確に表現する言葉の一つですが、恐ろしい悪夢という のもその候補の一つです。その時のことはあまり思い出さないようにしています。ジェシ カはいつも泣き叫んでいました。赤ん坊のころの写真を見ないようにしています。彼女は 食べる事も寝る事も嫌がり、機嫌をとることがまったくできませんでした。体重はほとん ど増えませんでした。ジェシカが一回に30分寝てくれたら、幸運なほうでした。床板の きしみのようなどんな小さな物音でも眼をさましました。医者は頼りになりませんでした。 「そんな子どももいますよ」と言われただけでした。家族はもっと頼りがいがありません でした。私がうまく食べさせられない。とか、おもちゃを与えてみては、とか次から次へ とアドバイスがありました。

わずかながら増えていたジェシカの体重増加が9ヶ月で止まり、体重が減り始めまし た。今までジンピ(Gympie)の近くに住んでいたので、地元の小児科医にかかっていました。 検査が何度も何度も行われました。カルシウムの問題が発見され、低カルシウム食に切り 替えました。遺伝専門医のところに行くように勧められ、1994年3月3日に、ウィリ アムズ症候群という答えをもらいました。私たちは無言のまま車で家に帰りました。実際 のところ、ショックを受けるには疲れ果てていましたが、かすかな希望がありました。私 たちは希望を捨ててはいませんでした。我々自信が悪いわけではないし、すべてのことに 理由がありました。2年目は私たちが出来る事を探す事に費やされました。ジェシカは前 にもましていろいろな検査を受けました。

ジェシカの心雑音の原因は大動脈弁上狭窄だと判明しました。カルシウム異常は4歳 まで続きましたが、自然に治ったように見えました。それ以外の彼女の健康状態は良好で した。入院したのは2回だけで、一度は原因不明の高熱、他の一度は歯科治療でした。ジ ェシカの発達の目安はすべて遅れていました。21ヶ月でやっと歩きましたが、平らでな い地面はまだ不安があります。遠視でもあります。今でも、食べさせる事や寝かせつける ことには苦労します。前に比べればたくさん食べるようになりましたが、ときどき吐いて しまいます。

3年間、ジンピにあるSEDCに通わせました。ジェシカが4歳を過ぎた時に、そこ に通うのをやめて、幼稚園に行かせました。その幼稚園はいいところで、彼女には何も特 別な援助の必要はありませんでした。今でもIDS言語療法・作業療法・心理士との面談 を受けつづけています。今ジェシカは田舎の小さなプリスクールに通っています。最小限 の手助けを受け、来年は一年生に上がれるでしょう。学校は楽しく、ジェシカも気に入っ ています。小さ目の便器が据え付けられています。ジェシカが便座に座れる様に踏み台が 追加され、手すりも加えられました。教師も生徒も生徒の両親たちも良い人達です。

先週の金曜日は運動会でした。自分は足が遅く最下位になるので走りたくないとジェ シカは話していました。それでも彼女はプリスクールクラスの50m走に出場しました。 トラックを半分くらい走ったところで、他の子たちはずっと前に行ってしまい、ジェシカ は泣きだしました。しかし、友達みんなが走り続ける様に応援してくれたので、ジェシカ はゴールラインにいる私のところまで走り続けました。彼女は気が動転していましたが、 3位のリボンをもらい、場内放送で彼女の名前が放送されるのを聞いて泣き止みました。 今ではそれがジェシカの自慢なっています。50m走でどうやって3位になったかを誰に でも話します。3人で走った事は言いません。でもそれは重要な事ではなく、大事なのは 彼女が参加したことであり、それが私の自慢でもあります。

IDSの心理学者は最近ジェシカの評価を終えました。検査の結果、ジェシカは知的 機能に関しては平均の最下位レベルと判定されました。つまり、ジェシカは知的障害では ないけれども、学校ではなんらかの学習障害の可能性があることを示唆しています。 ジェシカは、明るく外向的なかわいい女の子で、すてきな笑顔と青い目と巻き毛(彼 女はクレージ・ヘアーと呼んでいて、学校に行く時は三つ編にしてほしいと言います)を しています。

私たちは幸運だったと何度も言い続けています。もっと悪い事態だって考えられまし たが、今はそうではないことが分かって感謝しています。しかし、昔の苦労していた時は 幸運だったとはとても思えませんでした。しかし、ほんとうに幸運だったならば、私たち は遺伝専門医・心臓疾患・locasol・作業療法・physio・Makaton・IDS・障害などとい う言葉とは無縁だったでしょう。

でも、ジェシカは5歳になり、彼女の問題が以前のように私たちの生活を束縛するこ とはなくなりました。これからも新たな挑戦がありますが、誰でも挑戦することは同じで す。 ウィリアムズ症候群は私たちの一部なのです。

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