パワープレイ:ブライスとベアーズ



ウィリアムズ症候群財団の ホームページに 掲載されていた話です。アドレスは次のとおりです。

(2000年4月)

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Power Play: Bryce and the Bears

by James Leonard, University of Maine Campus Newspaper
April, 2000

ジェームズ・レオナード メーン州立大学学生新聞
2000年4月

ブライス・フッバード(Bryce Hubbard)に会ったら、最初に彼の目に気がつくでしょう。 魅惑的に輝く2個のサファイアがいたずらっぽく動き回っています。近寄ってみれば、両 方の虹彩には神秘的な星型の模様が見えるでしょう。これはとても人目を引き、あなたは 眼をそらす事ができなくなります。この眼で見つめられると、おませな3歳児のとりこに なるでしょう。なんでも知りたがっているような彼の視線は、あなたの外見を見ているの ではなく、あなたの中を見通しているかのようです。

ご存知ないでしょうが、彼の目の徴候はウィリアムズ症候群と呼ばれる障害の症状の ひとつです。この子が病気だとはとても信じられません。彼はとても気さくで、活動的で、 注意深く、アルフォンド・アリーナスケート場(the Alfond Arena ice)で弟のチェース (Chase)と跳ね回っているときのように、いつもとてもハッピーです。しかし、ブライスの 尽きることのない情熱の裏には試練が潜んでいて、彼は一生戦い続ける必要があります。

ブライスは勇敢な戦士であり、挑戦することを素直に受け入れています。それも当然 で、彼は軍人の家系に生まれました。彼の両親、ギャレットとアン(Garret and Ann)は2 人とも海兵隊員でした。父親はいつでも兵役に復帰できる予備役(a Marine in the Independent Ready Reserve)としていまだに海兵隊の一員です。

アンが最近語ったところによると、ブライスは生まれてすぐに戦いの場に臨みました。 「出産予定日は1996年10月でしたが、発育が止まってしまったので早めに生まなければ いけませんでした。彼は発育不全と診断され、新生児ICUに9日間入りました」。ブライ スは授乳が可能になるまで4日間栄養チューブを通してミルクを与えられました。体重が 増えないので、環境を変えてみることになって帰宅を許されました。フッバード夫妻が息 子を自宅につれて帰った時点で、体重はたった4ポンドでした。自宅で3週間過ごした時 に、ブライスはチアノーゼ(酸素不足で青くなること)を起こして、バンゴール(Bangor) にある東部メーン医療センター(Eastern Maine Medical Center:EMMC)に運ばれました。 EMMCの小児科医は、ブライスが逆流障害(reflux disorder)と同時に2種類の心雑音を見つ けました。逆流に関していうとブライスは発達遅延に起因する特異な問題を抱えていまし た。「逆流を起こしても、普通の子供はそれを「痰」として吐き出します」と、アンは言い ます。「ブライスの食道は十分発達していないので、痰が気管に留まり続けて、空気の通り 道をふさぎました。薬による治療を受け、8ヶ月になって退院できるまで睡眠時には45 度の角度のつりベッドに薬で眠らされていました」。ある日突然ブライスの逆流が消えうせ、 よく食べはじめました。それでも、彼の体重は十分増えていません。1歳の誕生日、体重 は13ポンドでした。

のろのろとした身体の発達以外にこれといって心配な事はないだろうとアンもギャレ ットも思っていました。「平均的な成長ではありませんが、大きくなっていたし、血液検査 でも悪いところはありませんでした」。

ウィリアムズ症候群が見つかったのは、社会保健システムの発達のおかげだと彼女は 言います。「毎週来てくれていた保健婦が発達の遅れに気が付いたので、検査を受けさせま した。検査の結果、発達の遅れがあり理学療法を勧められました。この勧告を受けた時に、 顔付きに少しおかしい所があるので遺伝科を受診するように医者から言われました」。

検査を受けている間中ブライスは遺伝科医にじゃれていました。「ブライスを一目見 た時にウィリアムズ症候群の疑いを持ったと遺伝科医が言いました。しかし、診察を行い、 家族の写真を見た後では、悪いところがあるとは思えなかったと言います。それでももう 少し検査を行い、はっきりさせたいと医者が言いました」。とアンが回想します。

「私達はすさんでいました」と、ギャレットは正直に言います。「医者がブライスはウ ィリアムズ症候群ではないだろうと考えた時に、その病気についていろいろ恐ろしい話し をしました。そのせいで余計に落ち込んでいました」。フッバード夫妻はボストンにあるウ ィリアムズ症候群クリニックを訪れてブライスの診察を受け、ウィリアムズ症候群に関す るカウンセリングを受けました。

ウィリアムズ症候群は20000回の出産に1回の割合で発生する稀少遺伝子病です。独 立した症候群として認識されたのは1961年のことで、男性にも女性にも同率で発生します。 大部分のウィリアムズ症候群の患者は、エラスチンタンパク質(血管壁に強度と弾性を与え る)を作る遺伝子を含む遺伝物質が7番染色体から欠失しています。疾病や発達障害のなか のいくつかは、この染色体上にあってエラスチン遺伝子に隣接する遺伝物質の欠失によっ て引き起こされている可能性があります。同じ症候群の患者の間でも欠失の範囲は異なっ ています。ほとんどのウィリアムズ症候群のこどもを持つ家族では、全家系を探してもこ の症候群を持つ人は一人だけです。

この症候群を持つ人に共通している特徴は独特の顔貌で、小さく上を向いた鼻・長い 上唇・幅広の口・厚い唇・小さな顎・はれぼったい目の周り等です。眼が青や緑のウィリ アムズの子供は、虹彩が星型の模様を呈することがあります。顔の特徴は加齢とともには っきりしてきます。

ウィリアムズの人は、心臓と血管の障害・血中カルシウム濃度の亢進・出世時の低体 重・体重増加不全・乳児期の腹痛・歯と腎臓の異常・ヘルニア・聴覚過敏・筋骨格障害・ 過度に友好的な性格・発達遅滞・学習障害・注意欠陥障害などを持つことがあります。こ れらの問題の多くが時間経過とともに発達するので、ウィリアムズの人は継続的な医学的 検診を受けることが大切です。

この症候群の影響は個人差が大きく、ウィリアムズの人々の症状は重度の介護が必要 な人から自立生活が出来る人までレベルは広範囲にわたっています。ウィリアムズ症候群 はこれまで見過ごされり、成長してから診断を受けたりしてきましたが、この症候群に関 連する医療面・発達面・学習面の障害を克服するには早期診断がとても重要です。

ギャレットとアンは必要にせまられて情報を集め、選択肢を比べました。「アンはとて も責任を感じていました」と、ギャレットは言います。「彼女はウィリアムズ症候群に関す る情報を集められるだけ集めようと没頭しました」。彼らのかかりつけの医者達からの援助 にも助けられました。「よく行く歯医者はすでにウィリアムズを知っていました」と、アン が言います。「ブライスがウィリアムズだと知った時から、インターネットで検索し、調査 し、もっといろいろ情報を見つけてくれました。ブライスが受けてきた医療の質について はとても満足しています」。

ブライスの発達が遅れている原因を知ったという武器を得たことで、フッバード夫妻 は選択を迫られました。「再び体重が増加しなければ、医師たちは栄養チューブを装着する 予定でした」と、アンは説明します。「それは外科的手術が必要で、真夜中にチューブを開 けて高カロリー輸液をチューブに流し込みます。私達はブライスの体重を増やす他の方法 を探すことに決めました。私が女子ホッケーチームを訪れた頃でした」。 これは多くの人々 の人生に大きな影響を与える出来事でした。

メーン州立大学女子ホッケーチームの監督のリック・フィリゲラ(Rick Filighera)は アンが来た時のことを次のように話します。「夏の終りにアンが私のオフィスに来て、一時 間ほどかけてウィリアムズ症候群について語りました。ブライスがチームの女子選手たち とスケートをしてもいいかと尋ねましたが、悩む必要はありませんでした」。ブライスは選 手達に会い、彼女達は一目で彼が好きになりました。その時からリンクに欠かせない存在 になり、チームの一員になりました。

ホッケーシーズン中は週に2回、お昼頃にメーン州立大学ホッケーチームの女の子た ちはブライスとスケートをします。その効果は誰にとっても絶大でした。

「彼は人生への新しい洞察を与えてくれます」と、2年生のゴールキーパーマンディ・ クローニン(Mandy Cronin)が言います。「彼は人生を楽しんでいて、そのことで私はほんと うに大切な事は何かに気がつきました」。2年生でメーンのディフェンス選手のブリー・レ イマン(Brie Layman)はブライスのお気に入りの一人です。最近彼はブリーを見つけると彼 女の名前を大声で叫びながら、にこにこと彼女のそばまで突進してきます。「彼はとてもか わいい子ね」と、レイマンは感情を込めて言います。「私は彼のとりこになっているわ。最 初彼はひっこみじあんだったけど、のみこみが早くて、いまは問題はないわね」。さらにフ ィリゲラは言います。「これらのことはホッケーとはまったく関係がありません。人生の問 題なのです。彼女達は教室では得られないことを学んでいるのです。関係している人たち みんなの存在がこのすばらしい経験を生んでいるのです」。

この措置は関係する人達にすばらしい効果を与えました。「チームが一つになったの よ」と、クローニンが言います。「全員がブライスと一緒に滑り、彼を見ているだけで何か 心に浮かんでくることがあると思います」。レイマンはその時の感情を思い出して、「彼が チームメンバーの距離を縮めてくれました。私達はブライスという共通の絆を手に入れた のです。彼は私達やチームにとって重要で大きな位置を占めています」。

ブライスもまたこの新しい運動メニューから恩恵を受けていました。「スケートを始 める前は、階段を上れないし、人の前に出ると恥ずかしがりやでした」と、アンか振り返 ります。「今では、彼は階段の上り下りを一人で問題なくできるし、心の殻も完全に破りま した」。ブライスがチームメートたちと会話をしているのを、アンはリンクの外から笑顔で 眺めています。ギャレットもスケートが役に立っていることを認めます。「どこまでが正常 な発達で、どこからが異常なのかはよくわかりません。しかし、女の子たちとスケートを することは間違いなくブライスの役に立っています。彼は活動的になったし、社交的にな りました」。

ブリーやマンディ、ニコル・マンロー(Nicole Munro)がブライスと滑り、じゃれあっ ているのを見ながら、アンはこの措置が彼女にとってどういう意味があったかを考えます。 「彼女達は私に希望を与えてくれます。彼女達にはブライスとすべる義務はありません。 運動選手として、学生として、彼女達がとても忙しいことはわかっています。それでも、 彼女達はここに来てくれて、楽しそうにブライスとの時間を過ごしてくれます」。

スケート以上にブライスの将来にとって重要なことがあります。ウィリアムズの人々 によく見られる症状に聴覚過敏があり、絶対音感を身に付けたり、音楽への強い傾倒を見 せたりします。「私達はブライスを音楽漬けにし、演奏しているところを見せています」と、 アンが言います。ギャレットは、「私は彼にとって最善のことをしてやりたいのです。彼が できることなら何でも機会を与えてやりたいし、成功するためのあらゆるチャンスを提供 したいのです」。

ブライスはすでに手に入れています。天はニ物を与えずと言われています。皮肉にも、 ブライスのような子どもがこの理論の反証になっています。しかしはからずもブライス・ フッバードは超越し、これほど短い間に多くの人々の人生に影響を与えました。アルフォ ンドで両親や新しい友人達と一緒のブライスに会うことは、まさしく愛の定義そのもので す。これ以上完璧なことがあるでしょうか。



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