ザッカリー・シムズ:私たちの成功物語



アメリカのウィリアムズ症候群協会(WSA)の会報に掲載されていた記事です。

(2001年12月)

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Zachary Sims
Our Success Story

By Fern Tirone
"Heart to Heart", Volume 18 Number 3, September 2001, Page 27-28

息子のザッカリーは1981年3月28日にコロラド州コロラドスプリングス(Colorado Springs, Colorado)で生まれました。生まれた時は6ポンド4オンスでmerconian staining があり、長男や私たちには少しも似ていませんでした。もし私に自然分娩の経験が無いま まこの子の誕生を見ていたら、自分の子どもだとは信じられなかったでしょう。息子は病 気のために病院から出られませんでした。これは私たち家族にとって人生の危機であり、 私の結婚生活がすでに危うかったこともあって、耐えられなくなった主人は私たちを病院 に残したまま去って行きました。コロラドにかけつけてくれた私の母が生まれたばかりの 孫を見て最初に言った言葉が、「まるで妖精(elf)のようね」でした。私たちはまだ何も 知りませんでした。

ザッカリーは典型的なウィリアムズ症候群の子どもでした。1時間おきに目を覚まして 泣いたり、食べることをいやがるなど、普通の赤ちゃんとはまったく違っていました。息 子が生まれてから2年半というもの、私は息子を抱いてロッキングチェアーで寝ていまし た。こうしないとリラックスして寝てくれませんでした。私たちはコロラドを離れ、私の 家族が住んでいるフロリダに引っ越しました。神経科のスチュアート・ブラウン医師(Dr. Stuart Brown)の診察を受け、マイアミメイルマンセンター(Mailman Center In Miami) の遺伝医メアリー・エスザー・カーリン医師(Dr. Mary Esther Carlin)を紹介されまし た。彼女がザッカリーをウィリアムズ症候群だと診断してくれました。その後循環器科や 小児科にかかりました。ザッカリーは2才半のときに両側ともそけいヘルニアになり、す ぐに手術を受けました。

悪いところが判ったことでとても安心しました。後になってWSAに連絡を取り、長年 にわたって重要な最新情報を送ってもらっています。ウィリアムズ症候群の子どもたち向 けのピクニックにも一度参加し、楽しい時を過ごしました。

ザッカリーはずっとESE特別プログラム教育を受けつづけました。姿勢が悪くまっす ぐ立てずにS字型になってしまったので、1997年に脊髄結合手術を受けました。手術は10 時間かかりましたが、息子はよく耐えました。回復するまでに6週間かかりました。息子 の背骨の上から下まで2本のチタン製の棒が通っていますが、自分自身では何も感じない ので、気にならないようです。

ザッカリーは1999年に南プランテーション高校(South Plantation High School)を 卒業しました。息子はがんばりました。卒業式の夜、息子が卒業証書を受取るために壇上 に上がった時、クラスメート全員が立ちあがって拍手喝采し帽子を空中高く投げ上げ口笛 を吹き、600人の生徒たち全員が名前を呼んでくれました。とても美しくて、忘れられない 出来事です。息子は驚いたようにたたずみそして微笑みました。調理師(Culinary arts) 過程を取っていたので、料理の方法は習いましたが好きではない様です。しかし、おかげ で1人で食事を作ることもできるし、レストランで働くこともできるかもしれません。清 潔についても学び、キッチンをきれいに保ち食事の準備をする方法も覚えました。

息子のためにしたことでよかったと思うことは、教会に連れて行き若者のグループに 入れたことです。みんなと一緒に旅行などに出かけて行きました。教会に集まるメンバー の大半はザッカリーを気に入り友達として受け入れくれました。普段ザッカリーは大人と 過ごすことが好きで、リーダーに従っています。音楽も好きです。皆さんが住む地域の教 会の人たちも皆さんを愛し力になってくれるはずなので、相談してみてください。協力し てあなたとお子さんを支えてくれるはずです。

2000年にザッカリーは脳性麻痺の青年と一緒に住むために介護付きアパートに引っ越 しました。袋詰作業員としてパブリックススーパーマーケット(Publix Supermarket)で 働きはじめ、フォート・ローダーデール(Ft. Lauderdale)からスチュアート(Stuart) に移動しましたが、いまでも働き続けています。パブリックスは配置転換を行ってくれ、 息子はアパートで自活しています。毎日バスに乗って商店街まで出勤しています。息子は 本屋と音楽が好きです。生活援助指導員や仲間や友達がいます。教会の若者グループにも 加わり、金曜の夜と日曜日と水曜の夕方熱心に通っています。

手間がかかったこの子がここまで独立できるとは思いませんでした。息子はいつも忙 しく外出も多く幸せです。ポケットベルを買い与え、私に電話をさせたい時に連絡をしま す。介護員の手助けを受けて小切手を使って日用品や服を買い、洗濯をし、映画に出かけ、 通勤の手段を選びます。

皆さんにも自分の子どもを信じることを薦めます。最善を期待してあげてください。 望むことはなんでもできる能力を持った子どもたちなのです。問題が起こらないとは言い ません。問題は発生します。しかし、子どもたちが一度自由を味わいひとり立ちをすれば、 それが気に入り、そうしたいと望み、そこには子どもたち自身の人生が待っています。

私にとっても息子を手放すことは難しいことでした。庇護し安全に守ってきたのは自 分の子どもです。しかし、息子が生まれた病院で出会ったりっぱな婦人が、「あの子は神の 子です。神に祈れば、あの子はあなたに世話を続けさせてくれますよ」と言いました。私 は今でも「私のためにあの子が無事でいてくれるように」と毎日祈りつづけています。

2002年にカリフォルニアで開催される全国大会にザッカリーと一緒に参加する予定に しています。そこでお会いしましょう。



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