人生を照らす灯り
アメリカのウィリアムズ症候群協会(WSA)の会報に掲載されていた記事です。
(2004年1月)
−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−=−
The Light Of My Life
By Melinda Dolinsky
"Heart to Heart", Volume 20 Number 3, November 2003, Page 26
息子のスティーブン(Steven)は私の人生を照らす灯りです。一年程まえ、スティーブンが16ヶ月の時にウィリアムズ症候群と診断されました。
これは長いお話しです。スティーブンは産まれつき両側神経性聴覚障害でした。聴覚に関して様々な医師を訪ね歩きましたが聴覚障害以外には何も指摘されませんでした。少なくとも私にはそのように見えました。ステ−ィブンが発達遅滞の兆候を見せ始めたことに気付いてから心配事が増えました。聴覚障害の影響だと言う人がほとんどで、それ以外の人はたんに発達がゆっくりなだけで問題がないと言いますが、私は何か別の原因があると感じていました。
心配を抱えた親がするように、私も息子をその分野の最高といわれる数多くの専門家に見せました。16ヶ月になるまでにスティーブンは15人の専門家の診断を受けましたが、誰も悪いところを見つけられませんでした。息子の様々な兆候を全て調べるために夜は寝ることができずしばしば体がしびれました。彼は何かがおかしいということはわかっていました。マンハッタンにある小児神経科医の2回目の診断がついに私の人生の転換点になりました。ついに捜し求めていた知らせを受け取ることになりました。その医師は「正常ではない」ことを見つけてくれました。9ヶ月になった時点で、スティーブンの頭囲・身長・体重は成長曲線から下に外れていました。成長に問題がありました。さらに詳しい遺伝子検査をしてもらうように依頼し、私たちの運命を変えることになる遺伝医を紹介してもらいました。この前の7月、ブロンクス(Bronx)にあるモンティフィオこども病院(Montifiore Children's Hospital)のレビー医師(Dr.Levy)の診断を受けました。広範囲にわたる遺伝子検査を行った後、彼はウィリアムズ症候群という名前を聞いたことがあるかと訊ねました。レビー医師はスティーブンの検査を行い、ついに2002年8月15日私たちの人生が変りました。夫と私にレビー医師に会いに来るようにという電話がありました。悪い知らせだと思いました。彼はスティーブンの診断を告げましたが、私は体の一部が死んでしまったような気分になりました。大切な人生の一部をスティ−ブンに与えてやれなかったことを悲しく思いました。しかし、同時に結論を得ることもできました。16ヶ月間は私に与えられた使命であり、ついに診断名を手に入れました。
みなさんの多くは私が使命感に燃えていると思われるかもしれませんが、まだそこに至ってはいません。今でも多くの医者を訪れては探しつづけています。しかし、私の歩く道と決心は別のもの、すなわち息子が与えてくれます。息子が私に歩く道と決心を与えてくれる唯一の存在です。息子の人生を可能な限り良いものにするべく、どんな困難にも立ち向かっていくつもりです。
目次に戻る