スケートで日本へ



 アメリカのウィリアムズ症候群協会(WSA)の会報に掲載されていた記事です。

(2005年5月)

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On Skates To Japan
WSA Dream Team member, Michael Williams Skates for the U.S. Special Olympics team

"Heart to Heart", Volume 22 Number 1, March 2005, Page 17

 アリゾナ州アーワツキー・フットヒルズ(Ahwatukee foothills in Arizona)に住むスピードスケート選手マイケル・ウィリアムズは7年間取り組んだトレーニングの成果を試すために、日本の長野で開催された2005年スペシャルオリンピックス冬季大会にはるばる参加した。

 23歳のマイケルは今年度の“スペシャルオリンピックス チームU.S.A.”のアリゾナ出身選手3名のうちのひとりだった。

 マイケルはローカル局のニュースレポータに対して、「以前はとても神経質になっていましたが、今は世界に挑戦してできる限りの最善を尽くす準備ができました」と説明した。

 マイケルはウィリアムズ症候群にもかかわらず、ずっと活動的で優秀でした。彼はバスケットボール・バレーボール・陸上トラック競技・サッカーなどに挑戦してきました。

 以前はマイケルの特別教育の教師で、今はスケートのコーチであるカレン・ハインズ(Karen Hinds)によれば、「最近何年間もずっとマイケルは速くなり続けています。足を交差したり、後ろ向きにすべることさえ上手になってきました」。

 地域社会は2004年にウィリアムズがオリンッピクチームの一員に選ばれてから特に、彼への支援に大きな役割を果たしてきました。デサートスクールスケート場(Desert Schools ice rink)を所有しているバーマン家は、ウィリアムズに無料でリンクを開放し、トレーニングをサポートし、ユニフォームなどを提供しました。

 アーワツキー地域で開かれた募金活動を通じて集められた3,000ドルは、ウィリアムズの家族がマイケルの応援に日本へ行くための援助になった。

 「色々な学校や政府機関と同じようにアリゾナのスペシャルオリンピック協会はすばらしい働きをしました」、とウィリアムズの父親であるマイケル・ウィリアムズは言います。「地域社会と共にあることは、ほんとうによいことです」。



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