グロリアが手術を受ける前のもう1つの出来事



Howard Lenhoff
http://www.wsf.org/parents/parents.htm#moment

グロリアについて記憶に残る思い出の1つは、1991年の秋に自動車にぶつけられて横腰に負った怪我を治療する準備のために手術室に入るときの場面です。11時間に及ぶ手術に臨むためにストレッチャーに乗せられて手術室へと運ばれていくグロリアを励ますために、兄のバーニーは妹の傍らに歩み寄ると、自分でギターを弾きながらフォークソングを歌いました。手術室に付くまで、グロリアは兄といっしょに歌っていました。

それから15年たった今年2006年の3月27日、グロリアは白内障の手術を受けるために眼科クリニックの手術棟に入院していました。半年以上前からグロリアの左目がほとんど視力を失っていたことに私たちが気付いたのはつい最近のことです。母親のシルビアが、今回は痛くない簡単な手術だとグロリアを励ましている間に、私はカウンターに行ってグロリアの手術の同意書にサインしました。受付係の人からグロリアの写真つきの身分証明書が必要だといわれて驚きました。必要なものはグロリアの健康保険証だけだと思っていたのでIDカードは持ってきていませんでした。私は妻が持っていた書類やお菓子を入れた手提げかばんの中から、「Religious Classics for Soprano」と「Gloria Lenhoff and Friends」というグロリアの歌を収録した2枚のCDを取り出しました。どちらのケースにもグロリアの写真がありました。

受付係はにっこりと微笑み、20秒もたたないうちに3人の看護師がカウンターの周りに集まってきて、みんなグロリアを確認したと言いました。そのなかの1人はミシシッピ大学で開催されたグロリアのコンサートに子どもを連れて行ったと話し、そこでグロリアのCDを一枚買ったと言いました。子ども達が数週間前の3月13日にDiscovery Health Channelで放送された番組にグロリアが出ているのに気が付いて両親に見るように呼びにきたとも言いました。他の2人の看護師もそれぞれOxfordのEagle紙とJacksonのClarion-Ledger紙でグロリアに関する記事を読んだと言いました。その会話を立ち聞きしていた別の患者は、グロリアがオペラ・メンフィスで歌ったことを紹介したMemphis Business Journalの記事を昨年の秋に読んだことを思い出したと言いました。

この混乱に気が付いた麻酔医が近づいてきて、彼もグロリア本人だと確認したといいました。彼は続けて、彼の姪はグロリアを取り上げた”60 Minutes”の番組を見て、自分の息子もウィリアムズ症候群であることに気が付いたと告げました。

彼らはグロリアの名前を呼び、有名人を患者に迎えることを光栄だといいました。数分後にはグロリアは笑みをたたえて彼女のファンたちと会話をしながら意気揚々と手術室に入り、40分後にはやはり笑いながら手術を終えて出てきました。彼女は手術が終わったことを喜んでいたのでしょうか? それとも、みんなが注目してくれることが嬉かったのでしょうか? たぶん両方でしょう。というのは、別れる前にみんなが歌を一曲リクエストしていたからで、グロリアはアメリカ黒人の霊歌である”In Bright Mansions Above”を歌いました。

(2006年4月)



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