ミッキーの幸せ



ウィリアムズ症候群の娘をお持ちのお母さんの手記です。ご自身が書いておられるブログから転載させていただきました。

(2007年4月)

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我が家にはミッキー(愛称です。)という19歳になるウイリアムス症候群の子どもがいます。

ミッキーはとても素直で優しい娘です。生まれて一ヶ月で先天性の心臓疾患があることがわかり、発育発達ともに遅く、いろいろ心配しました。2歳ではっきりとしたことがわかりました。「ウイリアムス症候群」と言う、聞いたこともない病名でした。その頃、私は、養護学校の教員をしていたのですが、そういう病名の子どもを見たことも、聞いたこともありませんでした。いろいろ調べてみると、知的な遅れがあると言うことがわかり、それが一番のショックでした。発育発達が遅いと言うことで、「何かある」と、ある程度覚悟はしていたものの自分の子どもに知的障害があるとわかったことは、何よりも辛いことでした。その後、私は転勤希望を出し、養護学校から離れました。先生方が親のことを悪く言っていたりすると、まるで自分が言われているようで、とても嫌だったし、「自分もそういう子どもがいるから、お母さん達と同じ気持ちよ」、と言えるほど強くなかったからです。そしていつも教員としての私より、親としての意識の方が強くなり、養護学校の子どもを見ているのが辛くなったからでした。

仕事も何度か辞めようと思いましたが、ちょうど夫が病気をしたりして、先のことも心配ですから続けていくことにしました。私が仕事をしている間、ミッキーは私の実家の祖父母が見てくれました。ボイタ法の訓練やSTの所にも通いました。おじいちゃんがボイタ法を覚え、日に何回も訓練をしてくれたお陰か、ようやく2歳半で歩くことができました。言葉も遅く、2歳くらいで、パパママ、じーちゃん、ばーちゃん、3歳でようやく2語文「ワンワンいた」くらいでした。4歳の頃はアンパンマンが大好きで、アンパンマンのキャラクターはだいたい覚え、そばにいる人に「アンパンマン書いて」「ジャムおじさん書いて」と次々に絵を描いてくれるようお願いしていました。そんな訳で、父や母だけでなく、祖父母もみんなアンパンマンのキャラクターの絵が上手に描けるようになりました。

ミッキーは小学校の6年間を、地元の小学校の普通学級で過ごしました。もちろん勉強はお客さまでしたが、みんなの中にいることが大好きで、お友達や、先生に恵まれたからです。特に5.6年時の先生はすばらしかった。「この子は普通学級で勉強はついて行けないけど、この子がいることはみんなのためになるし、私に任せて下さい」と…。本当にその言葉どおりの通りの2年間でした。卒業式は涙、涙でした。今でも、街でお友達と会うと、「ミッキー」って、声をかけてくれます。その後中学は特殊学級で過ごし、高校は隣県の私立の養護学校に(寮に入って)通っています。小学校の卒業式に、同じ学年の方全員にお礼とともに、配った手紙があります。



6年生の保護者の皆様へ



ミッキーは小さい頃から、とても優しい子でした。大人が喧嘩したり、怒鳴っている声を聞くのが大嫌いで、自分が叱られている訳でもないのに、涙をいっぱいためていました。平和が大好き、のんびりゆったり、音楽大好きの癒し系です。母が落ち込んでいる時など、真っ先に気づき、さりげなく「お母さんどうしたの?元気ないね?」と見透かされてしまいます。昔は、どうしてこんな子どもが生まれたのだろうとか?健常に産んであげなくてごめんねって、ばかり思っていたけれど…。今は違います。この子はの私のところにある使命を持って、生まれてきたのだろうと思っています。そして、それは私自身が生まれる前に自分で決めてきたのだと…(宗教ではありませんよ)子ども時代から独身時代までのほほんと過ごしてきた自分が少しは強くなり、今の自分があるのだと…。思えるようになりました。

今日、「ミッキーの幸せってなにかな〜」と聞いてみたら、「う〜ん、一言じゃ言えないけど、家族と一緒にいることかな〜。」って、「じゃ〜、寮に入ってること辛くない?」「お友達がたくさんいるから、大丈夫楽しいよ」と、答えてくれました。学校の寮ではみんなの人気者で周りにはいつもたくさんのお友達が集まっているようです。

I love ミッキー。ミッキーマウスが大好き。氷川きよしが大、大、大好きのミッキーをこれからもよろしく!!

以上私のブログに掲載したものです。ミッキーのこれからに不安はたくさんありますが、心優しく、家族思いのミッキーを温かく見守って行きたいと思っています。



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