本当はもっと書きたかったこと



山口 光孝
「民報サロン第104期作品集 てんし 創刊号」2008年8月2日発行 57ページ

民報サロンへの執筆を打診された瞬間、私の頭をよぎったのは「次男が抱える病気のことを書こう」というものでした。1月末と2月末に掲載された、私自身の原稿では5番目と6番目に当たる回でもちょっと書かせていただいた、ウィリアムズ症候群という病気についてです。二万から2万5千回の出産に対して、一回の割合で偶発的に発生するという染色体由来の疾患を背負って生まれてきた次男。彼と家族を含めた周りの人との悲喜交々の出来事を書くことで、この病気の存在を知ってもらい、あわよくば理解と協力を得られれば、と考えたからです。

しかしこの野望は以外にも家族の反対で潰えてしまいました。まがりなりにも不特定多数の人たちに読んでいただく文章が、そんな極めて私的なことに一貫してよいものか、と。何より、いきなり病気の話なんぞされても、読者の方は引くに決まっている、空気を読め、とも言うのです。ガーン。次男を支え、暮らしているのは私一人ではありません。家族揃ってこそ、ですから、私は泣く泣くあきらめ、6回すべてを違う話題で展開することにしました。まあ毎回テーマを変えるという行為もとても楽しいものでしたので、結局満喫させていただいたのですが。

それでも、それでも書きたいのは病気の話。ほんのちょっとだけおつきあいください。

ウィリアムズ症候群とは、7番染色体の一部が微小に欠失していることが原因で、心臓疾患を含むさまざまなトラブルを身体に引き起こす病気です。運動、精神両面の発達障害を伴うことも多く、もちろん投薬などで「治癒」することはありません。患者とその家族はできる限りの療育を受ける努力をし、周囲の理解と協力を支えに社会へと旅立つ準備をする必要があるのです。これが口で言うほどの平坦な道のりではないことは、次男が病気の診断を受けてからの4年の経験で痛いほど自覚させられました。

なぜなら、ウィリアムズ症候群という病気の知名度があまりにも低いからです。特に地方ではその傾向が顕著です。事実、次男は心臓疾患こそ生後半年くらいで明らかにされたものの、7歳になるまでに係わった全ての医師から「ウィリアムズ」という言葉が発せられることはありませんでした。こちらが申告して初めて「ああ、知っているよ。国家試験に出るから」と、この程度です。医師ですらピンと来ないこの病気をまず認知してもらいたい、それをおろそかにしては次のステップへは進めないと、私は確信をもっています。

知名度を上げたいのにはわが子のためだけではありません。実は今まで2万回程度に一回と思っていた発生率が、最近アメリカから得たデータでは、7千500回の出産に対して一回という数値に変更されていたのです。単純に考えて現在の3倍のウィリアムズ症候群人口がいる可能性があるということです(この数値の違いを私は診断スキルの違い、と考えています)。つまり、潜在している人々や家族は、もしかすると正しい診断を受けておらず、見当違いな療育をしているかもしれないのです。

みなさん、ウィリアムズ症候群を知ってください。「あ、その病気聞いたことがある」、そのひと言が、ある人には勇気を与え、ある人にはターニングポイントとなりえるのですから。

 (2008年8月)



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