これまでの子育てについて



2017年9月17日に北里大学相模原キャンパスで開催された「ウィリアムズ症候群の理解と支援」という勉強会のシンポジウムで杉本がインタビューに答えた時のレジメです。

(2017年9月)

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  1. WSの診断を受けてから将来について不安に思ったこと。またどのようにそれを受け止めたか。その時印象に残った支援内容(医療や福祉サービスあるいは他のWSの家族との交流など)
    • 前提:1989年生まれで診断を受けたのは1991年なので、まだ遺伝子の原因だとは分かっていなかった(1993年に7q11.23の欠失が同定された)。
    • 医学論文には、「軽度から中程度の知的障害」とか「知能指数は60程度」と書かれているが、それからわかることは「何かが欠けている」ことだけであり、どのように成長するか(どこにどのような凸凹があるのか、世間話ができるのか? 電車や自転車には乗れるのか?等)はわからない
    • なるようになる(なるようにしかならない)と考えた
    • 療育センター(北九州市や千葉市)には通った。地域によってサポートにかなり差がある
    • 幼児の医療費は無料(北九州市など)だった。
    • 年上(10代、青年、成人)の患者には会ったことがないので、「先が見えない」不安感に(今でも年上の患者に会うことは少ない)。どのように成長するかは先輩に会って実際に見る・話すことに尽きる

  2. 幼児期の様子の様子や感じていたこと・印象に残ったこと(授業、友人関係、兄弟との関係、日常生活、好きだったこと 支援の有無や内容などについてなど)
    • 同年代とは遊べない(年上から気を使ってもらうか、年下と対等に)、真の友達はできない
    • 根拠のない自信家。「他の子と同じことができる」と思っている節がある一方で、できないことを悩むことはないように見える。
    • ピアノを習わせたり(途中であきらめた)、障害児教育の専門家(千葉大学)に会って話を聞いたりしたが、特別な支援は受けていない
    • 何かに挑戦して失敗する(痛い思いをする、つらい経験をする、いやな思い出になる)と、その記憶のために極度に再チャレンジをいやがる。何か新しいことをさせるときには、失敗させない工夫が必要。

  3. 小学校、中学校生活での様子の様子や感じていたこと・印象に残ったこと・支援内容(授業、友人関係、生活、習い事 好きだったこと 支援の有無や内容などについてなど)
    • (幼児期と変わらず)同年代とは遊べないこともあり、大人と交わりたがる。真の友達はできない。
    • 根気が続かず、興味が移ろいやすい。学校帰りに友達と遊ぶ約束をしても、他に楽しそうなこと(TV、ゲーム)などに気をとられると、約束など二の次
    • 学校や地域では、誰とでもあいさつや話をするので、人気者になる
    • 兄とはうまくいかない。性格が違いすぎる、弟は人気者なので、兄は「***の兄」とみられることをいやがる。
    • 授業にはついていけなくなる。でも、英語、筆算、漢字、などはそこそこ(小学生高学年レベル)にはなる。
    • 根拠のない自信家であることは、変わらず。中学のころからは、自分が障害者であることは認識しているようだが、「つらい」とか「悲しい」とかは思っていないように感じる。
    • 行動半径が広がるとともに迷子になるようになった。小学校高学年になると問題はない。
    • 中学校(高等専修学校も)がインクルージョン教育を行っているところで、健常児と行動したり、社会生活(図書館やマックに行く、電車に乗って町に行く)の経験を積めたことがよかった。親が一緒にいると、どうしても先回りしてやってしまう。
    • 三重大学主催の音楽キャンプに中学一年から今年まで15年以上通い続けている。他人の配慮、期待されたことを実現するための努力、成功体験、友人を作る、など良いことが多かった。

  4. 就労について考え始めた時期について感じたこと、印象に残ったこと
    • 中学校を選ぶときに、最終的に就労支援をしっかりやってくれるところを選んだ。結果、公立ではなく私立に
    • 根気・几帳面さ・器用さを必要とすることは苦手(封筒への資料封入など)

  5. 就労を行い始めて、感じたこと、印象に残ったこと
    • 前提:障害者雇用(一般就労、正社員)でフルタイム(週5日、一日6時間)勤務
    • 「がまんする、挨拶できる、決められたことを守る」が重要
    • 就労先につながるには、学校などの専門的支援が必須。個人で動いても限界がある。建前(支援)と実態は乖離している。学校と企業で就職を決め、形式だけハローワークを経由するなど。

  6. 親元を離れることについて考え始めた時期、どのように動いたか。
    • 高校のころから。ウィリアムズ症候群で2年先輩の友人が、高校の時からグループホームに入っていたこと、高校の同級生が卒業・就労と同時に寮に入ったことなどから。
    • 高校の同級生が入った通勤寮(東京都の事業の一環)を見学(2016年)し、2017年6月からに入寮(テレビ番組撮影に背中を押されて)中。

  7. 現在将来のことで悩んでいること。
    • グループホーム等への移行(通勤寮にいられるのは最長3年)。
    • 生活費は、給与+障害者年金でなんとかなりそう。今のところは将来に向けてほとんどを貯金している。厚生年金も少ないながら出るはず(現在加入して給与の中から払っている)

  8. 最後に,同じように悩んでいる親御さんに伝えたいこと,など
    • この道の「先輩」と会い、話を聞き、参考にすることが一番
    • 「人と交流することが好き」な子ども(人)なので、家族や家庭を離れてもやっていける。ただし、「根拠のない自信家」であること(空気が読めない、自分中心に物事を考える、ひにくやたとえ話がわからない、他人に正義を求める)は成人しても変わらないので注意が必要。
    • 地域との交流(障害者サポート団体、NPO、地方公共団体など)
    • 子供が成長した時には、親の会などの集まりに時々顔を出して、後進のための灯台、つまりこの道の「先輩」になってほしい。



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