ジョージーが私達の前に初めて現れたのは、1990年に開催された WSA のボストン会
議のときでした。私と娘のグロリアがウイリアムス症候群の専門家達にプレゼンテーションを
した後、シンポジウムの最後のセッションで彼女は「医師の皆さまに話したいことがありま
す。」と話し始めました。気持ちのこもった力強い彼女の即興のスピーチは、それまでに行わ
れた発表を正しい視点、すなわちウイリアムスの人々やその家族の目から見るための手助けに
なりました。彼女は最後の講演者にふさわしい人でした。医者や研究者に対して、ウイリアム
スの人々を研究対象の「物」として扱うのではなく、同じ人間としての理解と慈悲の心を持っ
て接して欲しい、ということがテーマでした。
講演する機会の多い研究者としてトレーニングを積んでいる私よりも、ジョージーは上
手に話しができました。彼女は独特でした。彼女の即興の講演は、専門シンポジウムの大多数
の講演者よりもはるかに上手でした。彼女は、ウイリアムスの人々が感じてはいても言えなか
ったことを代弁してくれました。ウイリアムスの家族である Murray Krieger 博士(Cathyの
父)は、1994年12月のラジオの番組で次のように述べています。「私達のウイリアムスの子
供達は、ウイリアムス症候群であることをどう思っているのでしょう? 午前3時に起きた時
に何を考えているのでしょう? 彼らは決して語ってはくれません。」
ジョージーは語る能力があり、そして実際に語ってくれたただ一人のウイリアムスの人
なのです。ジョージーへの感謝と、彼女のことを皆さんの記憶に留めて頂くために、ボストン
会議の時の彼女の講演に若干の修正を加えたものを文章にしました。太字で書かれた部分は、
彼女が強調したことを示しています。
私はマイクの前で話すことに慣れていません。しかし、この会議に参加できた今言いた
いのは「やった!」ということです。私は長い間ウイリアムス症候群と戦ってきました。そし
て、[医師の人々の]おかげで、今や私達は戦士、それも十字軍の戦士になれました。大部分
の人には理解できないかもしれませんが、私は信心深い人間です。しかし、これからお話しす
ることが、内面は怒りに充ちている私の人生に何が起こっているかを皆様に理解していただく
助けになると思います。私は感情的な人間です。私に対して「それは感覚的ですね、物理的で
はありません」という医師達に飽き飽きしているからです。この前の4月、私を助けてくれる
と思った人達のところに出かけてみました。先週そこを離れましたが、そこにいる間に彼らが
してくれたことは、「あなたは精神発達が遅れています。」と言うことだけでした。見つけて
くれたのは、甲状腺の病状だけです。
慢性的な病気を持っている人が、その病気があるからといって神経科の医師から笑われ
ることを想像できますか? 私達大人や子供達が、医師とコミュニケーションが出来るように
なるのはいつなのでしょうか、また「私達は何者なのか」を教えてもらうために、あとどのく
らい待てばいのでしょう?
私達も、他の人と同じただの人間なのです。ただ、「怪物」がいなくならないだけなの
です。皆さんは、私がおこりっぽいと思われることでしょう。私がここに来た目的は、私のお
願いを聞いて欲しいからです。ウイリアムスの人々は皆さんを必要としています。私も皆さ
んが必要です。私は皆さんをとても必要としています。なぜなら、どちらが上かもわからな
いような錠剤を7つもくれて、6ヶ月後には「さあ、あなたには心臓に問題があります。腎臓
にも問題がありますね。これも、あれも、まだまだ問題があります。それでは、たくさん薬を
出しましょうね」とみんなが言うのです。
それでは、慢性的な病気を持つ患者を救うことにはならないのです。慢性疾患の患者が
必要としているのは、豊かな愛情と看護であり、泣いている時にはしっかりと抱きしめられる
ことであり、医師に「今日の症状は何ですか」と言われることではないのです。問題なのは、
我々が問題を抱えていることで、その症状ではないのです。私達は、克服しなければいけな
い医学的な病気を持っています。戦わない限りその怪物は、私達をずっと追いかけてくるので
す。
また、私達ウイリアムスの人々には、「私は問題を抱えています」と言ってあなたがた
医師に会いに行ける病院や場所が必要なのです。そこは、部屋に座った後、まじまじと見つめ
られて、「私にはどうしていいのか分かりません。」と医師に言われることを心配する必要の
無い所でなければなりません。
皆さんは、私達が必要としている大切な人々なのです。この会場の外にいる今週集まっ
てきた人たちは、皆さんが感じている以上に皆さんを必要としているのです。そして、71人も
の医師の方に今週ここに集まっていただけたということを知っただけでも、死ぬかと思うほど
感激しています。
医師の前に座って15分間だけ話を聞いてもらうのではなく、たくさんの医師の人々の
前で話せるということは、私にとって今まで受け取ったなかで、一番すばらしい誕生日プレゼ
ントです。慢性疾患を持った患者に対しては、15分や20分では治療はできないのです。もっ
と長い時間が必要です。
WSAの愛すべき人々の為でなければ、今日私はここに来て、心に感じていることを話
しはしなかったでしょう。それは、長い間私の心の中で思っていたことです。傷つくこと、苦
しいことだからです。あなたがウイリアムス症候群にかかっているということがわかったら、
人からは笑われ、両親でさえあなたが何者なのかを理解してくれません。
[先程、専門家達の前で、歌とアコーディオンを演奏したグロリアのほうを向いて]グ
ロリア、あなたに少し話したいことがあります。私は、あなたが今日ここで演奏してくれたこ
とを大変誇りに思います。あなたが素晴らしいことを示しています。
もう一つ言いたいことは、私は家に帰ってもウイリアムス症候群からは逃げられないと
いうことです。誰もそれにかかわりたいとは思いません。誰も他人のことは気にかけないので
す。彼らが気にしているのは、自分たちのことで時間に追われてあっちに行ったり、こっちに
来たりということだけなのです。
[私の話しは]大変つらいものです...皆さんにとってもつらいでしょう。医師の皆
さん、私もそのことはわかっています。しかし、普通の人々のように賞賛を受けることが出来
ないということは、時にはとても辛いことなのです。私は飛行機の中で小さな普通の子供を見
かけました。抱きしめることができました。この両腕に。頭をなでてあげました。そして考え
ました。「神様、どれだけ自分の子供を持ちたいと思ったことでしょう。神様、どれだけ男
性から愛されたいと思ったことでしょう」 (間があき、涙)
感情的になってごめんなさい。しかし、フラストレーションがたまっているのです。み
なさんがこのような話しを聞くことに疲れた、ということはよくわかっています。しかし、私
はみなさんを心から愛しています。だからこそ、ここに来たのです。これは私にとって最高の
贈り物なのです。それは、愛してくれる人、精神的な病気だけではないと気が付いてくれてい
る人と話し合えることです。ありがとうございました。
私は1990年以来ジョージーとは5,6回会いましたが、彼女の言葉は今日までずっと心
に残っています。私達は何度も WSA の会合で会いました。ジョージーは、会合のホステスと
して皆をもてなしたり、受け付けの手助けをしていました。2度ほど、飛行機の中で会いまし
た。一度は偶然でしたが、もう一度は WSA の運営会議に参加する途中でした。4年前[1991
年]、ジョージーが車にひかれたとき、ジョージーが電話をかけてきて最も辛い時期を乗り切
る為に私達のそばに居たいと言ってきました。その後も、しばしば話しをするために電話をか
けてきました。孤独感に襲われ、慰めや励ましの言葉を聞きたかったのです。
最近電話がかかってきたのは、WSA の運営会議に対して助言を行うウイリアムスの代
表に彼女が再選されなかった時でした。悲しかったようですが、彼女の後継者ができたことを
喜んでもいました。私は、ウイリアムスの人として初めて運営会議に貢献した彼女の役割を、
合衆国の初代大統領となったジョージ・ワシントンにたとえました。
「ジョージー、あなたはジョージ・ワシントンと同じように最初の人なのです」と私は
言いました。「そして、我々がジョージ・ワシントンを建国の父として記憶に留めているよう
に、我々はあなたのことを運営会議のメンバーがウイリアムスの人から直接話しを聞くという
すばらしい伝統を作り上げた人だといつも思っています。ボストンの講演であなたが話したよ
うに、あなたのおかげで、運営会議のメンバーはウイリアムスの人々を、人間として、また理
解され愛されるべき人して対応できるのです。」
そう、ジョージー、あなたが道を切り開いたのです。他の誰もまねできない方法ですべ
てを話してくれたのです。私達はあなたを愛しています。あなたがいないことをさびしく思う
でしょう。あなたのことを決してわすれません。私は、WSA と WSF に対して、あなたの1990
年の講演のコピーをウイリアムス症候群に取り組むすべての研究者や内科医に配ることと、ウ
イリアムス症候群の支部や全国的な会合で紹介するように要求しています。
あなたは、ウイリアムスの人々とその家族に、貴重な遺産を残してくれました。あなた
は、いつまでも惜しまれ続けることでしょう。
訳者注
(1997年3月)