オースチン、我が息子・我がヒーロー



WSAのニュースレターに掲載されていた手紙です。

(2000年10月)

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親愛なる パトリックへ。

我々は深い悲しみと共感を持ってあなたの手紙を掲載します。あなたの痛みと悲しみ をいやしたいと願っています。あなたの背中に腕を回して慰め、わかっているよと伝えま す。あなたの経験は、ウィリアムズ症候群は持っていないけれども自分の愛する子どもを 失った親と同じものです。悲しみから立ち直り、息子さんへの愛情があなたを支え、力づ けてくれること期待しています。

愛情を込めて、ウィリアムズ症候群公協会の友人一同。

Austin, My Son - My Hero

By Patrick
"Heart to Heart" Volume 17 Number 2 June 2000, Page16-17


私は42才でウィリアムズ症候群です。同じくウィリアムズ症候群だと診断された息子 をどうやって育てたかをお伝えしたいと思います。

私は病気のために子どもは持てないとこれまで医者から言われてきました。しかし、 彼らは間違っていました。1997年に誇らしい父親になれたことがわかったのです。同時に 心の中では無力感に襲われて涙を流して崩れ落ちました。なぜなら、ウィリアムズ症候群 になる可能性があり、自分と同じ苦労をさせるかもしれない世界に自分の子どもを踏み込 ませまいと心に誓っていたからです。

1997年12月18日、息子のオースチンが生まれました。彼は真っ赤でふっくらしたほ っぺと、青い目と、茶色っぽい赤毛をしていました。初めて息子を腕に抱いた時、涙が両 目からあふれ、子どもを抱けたことを神に感謝しました。

オースチンはお腹の調子がとても悪く何度も入退院を繰り返しました。必要な栄養を 摂取するために胃にチューブを入れたおかげで、死なずにすみました。私たちが息子を連 れていった医者はウィリアムズ症候群のことを知らなかったので、私経ちが知っている限 りの情報を伝えるとともに、息子の治療に役立つ情報を自ら入手したり、経験豊かな医者 にコンタクトが取れるようにウィリアムズ症候群協会(Williams Syndrome Association)へ の連絡方法も教えました。

オースチンが何度も何度も病気になるので、彼を病気にさせた自分を責めました。ま た、彼の泣き声を聞くと何度も何度も心が痛んで涙が流れましたが、最後には自分を責め ることをやめました。

息子は胃の内容物を吐くことが多く,ある日私の頭から体中に嘔吐を浴びせました。 嘔吐を浴びたまま外に出て行くと皆が私を見つめるので、息子は嘔吐が上手いんだよと言 うと、皆が笑いました。

オースチンの母親と私との関係は良いとは言えませんでした。オースチンは母親と暮 していたので、オースチンの具合が悪くても母親が私に知らせないことが度々ありました。 彼女の親族と私の親族が、これまでのことと、これから息子をどうするかを相談した頃か ら事態はもっと悪くなりました。私の親族から聞いたところでは、オースチンが養子に行 って経済的に余裕がある暮らしができるように私がオースチンに対する親権を放棄するこ とを彼らは望んでいました。

心の底では私が息子に対して成すべきことはわかっていたので、裁判所に行ってオー スチンに対する親権を放棄する書類にサインしました。まるで誰かが私の心の中に手を突 っ込み、体の外に引きずり出して粉々に砕いてしまったように感じました。これまでの人 生で最もつらい決断でした。私はとても息子を愛していたので、何日か泣きつづけました。 私の心に感じる痛みは、誰にも取り去ることはできませんでした。

夕焼けを見ながら手元にいない息子のことを考えていた時、電話が鳴って、私の母が 悪い知らせだよと言ってきました。息子は合併症を治すために登った手術台の上で亡くな り、医者達にも救えなかったそうです。頭の中が真っ白になり、新聞が来て息子の死を伝 える死亡記事を読むまでぼーっとしていました。

涙が頬を伝わり、彼がウィリアムズ症候群を持て生まれたことに対して私は自分を責 めました。医師たちは息子を救うために最善をつくし、自分たちの義務以上のことをして くれたと一人一人に感謝しています。最もつらかったことは、彼が死んだ責任は私にある とオースチンの母親の家族が責めるので、オースチンの葬儀への出席を許されないことで した。葬儀が終った3時間後に一人で墓地に行き、息子にお別れを言いました。

オースチンは1998年12月8日に亡くなりました。たった11ヶ月の命でした。彼が亡 くなってからまもなく2年が経とうとしていますが、彼をこの腕に抱いたのがまるで昨日 のことのように思えます。

自分の心にけじめをつけ、新しい人生に踏み出すためにこの手紙を書きました。オー スチンもきっとそれを望んでいると思います。誰も私から奪い去ることができないことが 一つだけあります。それは息子への愛情です。息子が私に教え、私の心の中に置いて行っ たもの、それは彼への無条件の愛情です。

オースチンを愛する父親、パトリックより。



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