神経シグナルと神経精神疾患
森 望
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科
実験医学 Vol.23、No.11(増刊) 2005年、230-239ページ
神経系の発達分化や脳機能の獲得と維持にシグナル伝達は大変重要な役割を果たす。本稿では、いわゆる脳の高次機能といわれる学習の成立や記憶のメカニズムに関するシグナル伝達系を、特にNMDA受容体とその周辺分子について最近の知見を中心にとりまとめる。また、そのシグナル伝達系の異状によって起こる脳神経系の発達異常症や神経精神疾患の主なものについて概説する。そして、疾患遺伝子とその産物が脳神経系の機能維持に欠かすことのでないシグナルの大きな流れの部分部分を担っていることを示す。
(中略)
11) ウィリアムズ症候群(WS)
いわゆる空間視覚認知の障害としてよく知られた疾患で2万人に1人にみられる。見えるものの部分部分は理解しているが、空間的配置の認識が不完全となる。精神的には誰に対しても異状な親近感をもって接し「見知らぬ人がいない」とも評される。時に、高度な芸術的天性を併発する。第7染色体7q11.23領域の1.5Mbの部分欠失に起因するが、この領域には多くのシグナル伝達関連遺伝子が局在している。特に重要なのはLIMキナーゼ(LIMK1)とWS転写因子(WSTF)である。LIMK1はRhoやRacの下流でアクチンの重合制御にかかわるコフィリン(ADF/coffilin)をリン酸化する酵素で、おそらくは神経のシナプスでの活動依存的なアクチンの再編成に関与するものと予想される。LIMK1遺伝子のノックアウトマウスの細胞ではアクチン束の形態やアクチンの代謝回転が変わる。海馬での神経の樹状突起スパインを観察するとアクチン束が少なく、スパインも小さい。興味深いことに、このLIMK欠損マウスの海馬は長期記憶LTPが亢進し、非常に高いレベルに維持される。これはFMR2遺伝子欠損マウスでもN-Shc遺伝子欠損マウスでも同様である。一方、WSTFはプロモドメインを含む転写因子だが、これはWINACと呼ばれるクロマチンリモデリング複合体の一部である。この複合体はビタミンD受容体の転写制御にかかわるが、おそらくはそれ以外に神経機能にかかわる遺伝子群の転写制御に関与するものと想定される。
(2005年11月)
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