言語発達における遺伝と環境



 小椋たみ子
 認知科学の新展開3「運動と言語」
 編集 乾 敏郎、安西 祐一郎 岩波書店発行 2001年9月 
 90〜92ページ

5.1 言語発達における遺伝と環境



最近の研究で、領域固有の発達がある証拠として、ウィリアムズ症児の認知と言語が注目されている。ウィリアムズ症候群は20000人に1人の割合での出生で、23対の染色体の中の7番目のいずれか片方の長腕部に微細な欠損が生じることを原因とする、まれな遺伝性の障害である。その臨床的特徴として、特異な顔貌で、狭い動脈のために先天的な心臓疾患と腎臓の病気があり、筋肉-骨格の異常、成長の遅れ、過度な聴覚感受性、乳児の高カルシウム血症がある。このような身体的異常のほかに重度の知的障害(平均IQ60)と特有なパーソナリティ(高い社交性)があり、視空間の構成技能は弱いが、言語と顔の認知処理はよいといわれている。

この研究領域のパイオニアであるBellugiら(1994)はウィリアムズ症児で、顔の認知や言語の処理では問題はないが、視空間認知、数、プランニング、問題解決では、特に重大な問題をもっていることを指摘してきた。Pinker(1991)は、ウィリアムズ症児の知能はIQ50くらいであるが、文法能力は健常に近く、重度の知的障害にもかかわらず、言語能力は保持されており、ウィリアムズ症児の遺伝子は知能を損傷させているが、文法能力を損傷させていないことを主張している。Pinker(1991)は、ウィリアムズ症児の症例から、言語モジュールは独立に機能しており、これらは生得的であるとしている。しかし、Karmiloff-Smithら(in press)は、ウィリアムズ症児の統語で障害がないとのPinkerらの主張は、理論的にも経験的にも不正確であるとの見解を提出している。ウィリアムズ症児の文法は視空間認知の障害に比べれば比較的よいが、彼らの精神年齢に比べると遅れている。またウィリアムズ症児の乳児期の言語は非常に遅れている。彼らの発達は健常児とは異なり、命名が指さしに先行している。これは、ウィリアムズ症児が意味よりも言語の音の模倣により命名を行い、意味情報よりも音韻情報に重きをおくことの証拠でもあるとしている。健常な言語発達の土台となる共同注視や社会的参照にも障害をもつことが報告されている(Bertrand et al. 1997)。彼らの初期の言語が遅れることは、彼らの意味的な表象能力の障害でもあり、また、言語発達の土台となる非言語能力の障害でもある。

このように、ウィリアムズ症児の言語に損傷がないという主張は誤りであり、ウィリアムズ症児がたどる言語発達の軌跡を発見するための緻密な研究が必要である。顔の認知についても、健常児は顔の輪郭を認知しているのに対して、ウィリアムズ症児は顔を構成している要素を認知している。ウィリアムズ症児は顔の認知で一般的な事物処理過程を使用しており、輪郭を選択して処理するのに障害があり、不完全なモジュール化が認められる。彼らの、顔の認知処理が熟達していると言われているのは、逸脱した発達から生じている。同じ行動を示していても、健常児と等価な認知過程が生起しているのではない。Karmiloff-Smithら(in press)によれば、ましてや遺伝子と行動の間には直接的な一方的な関係が成立するわけではない。Karmiloff-Smith(1998)は、定型的な発達、非定型的な発達の複雑なダイナミズムを理解するのに、神経構成主義のアプローチが最も有効であると考え、生得論、経験論と対比し、発達障害の発生原因モデルを表5.1(略)のようにまとめている。乳児期早期から遺伝、空間・時間的ダイナミズムでの脳、認知、環境、行動など多岐なレベルからアプローチされなければならない。同様に一方的の連鎖ではなく、遺伝的原因から最終の行動結果に至るまで、幅広く相互作用し、多岐にわたる二方向性の連鎖が協調されている。

言語は生得的な領域固有な能力ではない。認知、社会性などの他の領域と相互に作用しあい、獲得される。5.4節では、筆者のデータをいれながら、言語が非言語領域とどのような関係をもち、獲得されていくか明らかにする。

(2007年9月)



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