Williams症候群の視覚認知障害:なぜトレースできて模写できないのか



永井 知代子、岩田 誠、松岡 瑠美子、加藤元一郎
神経心理学 第17巻 第1号:36−44.2001

Williams症候群(以下WS)の視覚認知障害について検討した.対象は8〜28歳の患者4人で,視知覚課題として視知覚の基本機能,形の恒常性理解などを,視覚運動課題としてトレース,模写,イメージからの描画などを調べた.その結果視知覚の基本機能は良好だが傾きの弁別・形の恒常性理解に障害があり,トレースは良好だが模写の障害は著明で,角の誤形成が特徴的であった.イメージからの描画は模写より良好であった.WSでは視知覚レベルで傾きの認知・形の恒常性理解に障害があり,誤反応分析からこれらが描画に影響していると考えられた.模写で必要だがトレースで必要ない過程は複数あり,WSではこれらの障害が示唆される.

(2002年6月)

1. はじめに

Williams症候群(以下WS)は特有の顔貌、大動脈弁状狭窄症などの血管病変、精神発達遅滞を呈する症候群(Williams,1961)として臨床的に知られてきた。近年、第7染色体長腕(7q11.23)の半接合体部分欠失が原因であると複数の施設より報告され(Ewart,1993, Olson,1993, Curran,1993)、特にそこにあるelastin遺伝子の欠損が臨床症状に大きく関わっていることが指摘された。しかしelastin遺伝子の欠損で説明できる症状は特有の顔貌や血管病変であり、精神発達遅滞はこれでは説明できない。隣接する他の遺伝子欠損による症状であろうと推測され、研究が進められている。

Williams症候群の概念が確立した頃の話題の中心は主に奇形であり、精神発達遅滞はさほど注目されなかった。全般的知能の低さ(IQ30〜70)に比して、言語機能の発達が良い点に初めて注目したのはBellugiら(1988)である。彼女らはIQ50前後の十代のWS患者と同程度の知能を有するDown症候群(以下DS)患者に対しConceptual Reasoning Test、Linguistic Functioning Testを行い比較した。その結果、正常では7歳までに獲得されるはずの数や重さ・二次元空間に関する保存の知識を問う課題では両群とも低得点だが、WSでは語彙力や語形に関する課題・統語法に関する課題では高得点をとることを報告した。さらに、視空間認知に関してはBlock DesignやJudgment of Line Orientation(JLO)などで著しい低得点をとること、描画やcompound letter task(小さな文字(local letter)で構成された大きな文字(Global letter)を視覚呈示し、音読。模写する課題)では、DSでは全体を構成できても部分的な誤りが目立つのに対し、WSでは逆に部分は正しく構成できるが全体の構成はできず、奇妙な描画になることを強調したのである(Bellugi,1994)。部分の認知は正しくできるが全体の把握ができないことがその特徴であり、成人の右半球損傷患者のようであるとした。頭部MRIなどの放射線学的検討や、剖検例における病理学的検討においてさえ脳の左右差はみられず、局所的損傷は明らかにされていない(Bellugi,1994)。それにも関わらずこのような高次脳機能の差を認めること、そして染色体異常が明らかになっていることから、高次脳機能に関係する遺伝子が特定できるのではないかという期待が生じ、近年認知神経科学分野と遺伝学分野双方で注目を集めつつある。

このような流れの中で、当初優れているとされた言語機能にも種々の異常がみつかってきた。理解力にはある程度制限がある(Udwin,1991)、前置詞の使用を誤り(Rubba & Klima,1991)、clicheの不適切な使用や多用、ステレオタイプのフレーズ、言い換えやトピックの維持ができない(Howlin & Udwin,1998)、などである。語彙は豊富だが語彙を習得するプロセスが正常とは違う(Stevens, 1997)、外国語の習得と似た方法で言語学習している(Karmiloff-Smith,1997)、新しい単語の学習に際し発音とジェスチャーによる情報を統合できず、正常児とは言語学習方法が異なる(Masataka,2000)、といった発達過程の異常に注目した報告もある。

一方障害が重度である視空間認知に関しては検討が少なく、基本的には初期のBellugiらの報告に合致する内容が多い(Bertrand,1997, Atkinson,1997)、また複雑な課題による検討が多く、要素的視知覚など知覚認知面に問題があるのかそれとも知覚は正常だが視覚運動協応に問題があるのかについてはこれまで十分検討されて来なかった。我々は日常臨床場面で、WS患者がマルタ十字模写の際に十字の角をつくり損ねるという奇妙な共通点があること、それにも関わらず図形のトレース(見本図形をなぞること)はできることに気づいた。このトレースできて模写できない現象に注目し、知覚認知面の問題なのか、視覚運動供応の問題なのかを明らかにする目的で、以下の課題を行った。

(2003年10月)



目次に戻る