麻酔と心臓に関する心配事(症例報告)



アメリカのウィリアムズ症候群協会(WSA)の会報に掲載されていた記事です。

(2003年8月)

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Anesthesia And Cardiac Concerns

Vinnie Ferelli:A Case Study
"Heart to Heart", Volume 20 Number 1, April 2003, Page 8

2002年10月21日、3回目の誕生日を2週間程過ぎた頃、ビニー・フェレーリ(Vinnie Ferelli)は予定されていた定期的な耳チューブの交換と泌尿器処置を受けるためにピッツバーグ子ども病院(Children's Hospital of Pittsburgh)を訪れた。ビニーはこれまで耳チューブの交換の際に何の問題もなかったので、今回も心配はないはずだった。しかし、麻酔(propofol:静脈麻酔薬)誘導が行われている間にビニーは3回の心停止を起こした。その後安静のまま小児ICUに運び込まれた。

次の日、発作の原因を突きとめるためのカテーテル検査を始めたときに、ビニーは4回目の心停止を起こした。30分間心肺蘇生術(CPR)を行い、ECMO(人工心肺装置)を取り付けた。カテーテル検査の結果いくつかの疾患が発見された。すでに診断を受けていた末梢性肺動脈狭窄(PPS)と中程度の大動脈弁上狭窄(SVAS)に加えて、大動脈弁の小葉・肺動脈の「ねじれ」・肺動脈の障害物を含む先天的な異常が発見された。

続いてサンジブ・ガンジー医師(Dr.Sanjiv Gandhi)による手術の結果、肺動脈の位置を修正しいくつかの障害物は取り除けたが、ビニーが幼すぎるために大動脈弁の交換はできなかった。ガンジー医師はビニーの左心室が正常に機能していないこと、瞳孔は反射が無く(fixed)し散大していることをフェレーリ家の人たちに告げた。さらに、ビニーが助かるかどうかはウィリアムズの子どもが持つ生命力に期待して皆で祈るしかないとも語った。

脳波検査の結果、他のウィリアムズ症候群の子どもと同様に発達の遅れはあるものの脳は正常であることがわかった。ビニーは翌日再度手術室に戻り、心臓の回りに滲出した血液と血塊を取り除いた。10月24日になって人工心肺装置を取り外した。10月27日に呼吸器チューブを外し、10月29日には回復室にある監視ベッドに移された。ビニーは麻酔による昏睡からさめた時には歩くことも話すこともできなかったが、医師団はそれらの機能はすぐに回復することに自信を持っていた。CT画像を取った結果脳の右半球にダメージを受けていることが判明し、11月7日に退院するまで原因不明の熱が続いた。

ビニーは17日間入院していた。母親のキャシー(Cathy)はその間中彼に付き添っていた。父親のバリー(Barry)は病院の規則に従って夜だけは自宅に戻った。それでも入院が長引くことによるストレスから、ビニーの不安症は悪化した。ビニーが自宅に戻った時点では支えが無いとお座りもできなかったが、粗大運動は急速にかつ完全に回復した。退院後10日でビニーの長所である言語機能が回復し、ビニーの妹のジュリアナ・ローズ(Julianna Rose)が2002年11月14日に生まれた。

フェレーリ家の人たちは、麻酔医から「手術室に入るまで彼がウィリアムズ症候群だとは知らなかった」と聞かされた。ビニーのカルテには明白に記載されていたにも関わらず、ウィリアムズ症候群と麻酔の関連について特段の注意事項は説明されていなかった。外科手術を行なう前に普通に行なわれるようにビニーは16時間の絶食(何も口に入れない)を行なったが、これは心臓発作の前触れとなる急激な血圧低下を引き起こした可能性がある。

この出来事を受けて、デービス医師(Dr.Davis;麻酔科医長)とキャロリン・ベイ医師(Dr.Carolyn Bay;ビニーの担当遺伝医)はウィリアムズ症候群と麻酔に関するカンファレンスを開催した。ウィリアムズ症候群に関する症状がすべて明確になっている場合には麻酔事故の可能性は極めて低いという研究報告があるものの、循環器系、特に肺動脈の疾患が事前に診断されていない場合には急激に状態が変化する可能性がある。

フェレーリ家の人たちはビニーが入院している間心配して無事を祈ってくれた人たちに感謝したいと述べている。同時に、ウィリアムズ症候群の子どもを担当する医師には麻酔とカテーテル検査に含まれる危険性をきちんと認識してもらうことを希望している。



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