ウィリアムズ症候群と言語モジュール
鹿取 廣人
「ことばの発達と認知の心理学」 2003年1月 東京大学出版会発行 ISBN:9784130120395
208〜211ページ
4-6-7 ウィリアムズ症候群と言語モジュール
言語発達遅滞児の療育における、”もの信号系”活動と”生体信号系”活動の関連についての考察を終えるに当たって、ウィリアムズ症候群(Williams syndrome)についてひとこと述べておくことが必要のようだ。
ウィリアムズ症候群の子どもたちは、言語活動や”対ひと関係”には問題がないが、視覚性の”もの信号系”活動ないし視覚空間認知の働きに著しい障害を持つ、という。そのためこの症例は、言語発達の研究者から、知覚・認知処理のシステムと言語能力のシステムが乖離し、それぞれ独立していること、そして言語能力は生得的にヒトに受け継がれているモジュールの働きの結果であること、などを示す例として取り上げられてきた(Pinker,1994)。その場合、言語獲得は認知の働きとは無関係ということになる。
ウィリアムズ症候群は、1961年、ニュージーランドの心臓医、ウィリアムズ Williams,J.C.によって、種々の心臓・血管系の疾患に加えて、特有の発達障害のある一群の小児患者がいることが報告され、その後、これが固有の症候群として認められるようになってきた。その出生頻度は2万人〜5万人に1人とされ、これが遺伝ないしは突然変異によるカルシウム代謝の異常によって生じるとされたが、1993年、7番目の染色体の内の1本にわずかな欠落があることが明らかにされた(Lenhoff et al.,1997;Temple, 1997)。
この症候群では、一般に、健常者の脳に比べて脳容積が80〜85%ほど小さく、ミエリン化(myelinization:髄鞘化、神経細胞の発生や再生に際して神経線維の鞘が形成されること。この形成が不十分だと神経伝達の効率がわるい)も不十分であるが、損傷部位は現在のところ不明とされている。ただし、小脳、側頭葉の1次聴覚野、および聴覚野側頭平面が肥大化しているという(Lenhoff et al.,1997)。なお、聴覚皮質の肥大化が聴覚感受性をもたらしていると思われる。
この子どもたちは、反り返った鼻と小さな顎を持つ妖精のような顔つきをもち、肉体的にも精神的にも発達の遅れを示す。たとえば、歩行の開始が平均21ヵ月ほどで、爪先立ちのような歩き方をする。多くの場合、生涯そのぎこちなさが残る。IQは40から100までと個体差があるが、平均60程度である。とくに特徴的なのは、視空間認知や視覚性の記憶操作−−作動記憶の視空間メモの働き−−の障害である。
図に示すように図形の模写やものの形態の視覚的再生に著しい障害を示すという(図4-6-7-1)。すなわち図形のコピーテストを行わせると、健常児では全体のパターン(文字D)も部分の要素(小さい文字Y)もコピーするが、ダウン症児では要素をはぶき全体のパターンを、ウィリアムズ症候群児では要素をコピーするが全体のパターンは画かれない。また例えばウィリアムズ症候群の女性は、象の特徴についてはほぼ十分な言語的記述ができるにもかかわらず、その描画は極めて貧者である(図4-6-7-2)。ただし、視覚認知そのものに障害があるわけではない。局所的な部分の知覚や、図形のトレースも可能であるという。(岩田、1997)。また人の顔の区分も十分にできる。
一方、自発的な発話では、適切な文法体型を使いこなす。また、豊富な語彙をもつばかりでなく、その表現能力や言語的な描写力もむしろ健常児よりも優れた傾向を示し、多弁、社交的である。聴覚的処理に優れており、音楽を聴く、歌う、楽器を演奏するなどに傑出した才能を示す、という。そこで、一般的な知的能力や視覚認知能力の障害にもかかわらず、優れた言語能力をもつことから、言語獲得の独立性ないし言語能力のモジュールが想定されることになる。
しかしその後のいくつかの研究によると、問題はそう簡単ではない。ウィリアムズ症候群の子どもたちの1語発話の獲得は健常児よりも遅く、2,3歳ころとされている。さらにその多弁的な発話傾向は、幼児期に限られるらしい。また正高(1999)の指摘によると、この多弁的な傾向は幼児期によく見られる語彙の一般化、いわゆる「過拡張(overextension)」−−つまり「ワンワン」の語を憶えると、いろいろな動物を指して「ワンワン」という傾向−−を過度に含んでいるという。こうした言語行動における特長は、言語獲得の過程で知覚・認知の働きとの相互的な働きあいのあることをうかがわせる。
すなわちウィリアムズ症候群の子どもたちは、聴覚感受性が高く、聴覚による短期記憶−−さらに聴覚的な作動記憶−−に優れた能力をもつ一方、視覚的な作動記憶に顕著な障害をもつ。そこで、言語獲得の過程で音声としての事物の名称をすばやく取り込めるが、”もの”の特長の限定化が不十分となりやすい。そこに語彙の過度の過拡張が生じると思われる。
前に見たように、ヒトの左半球は時間的解析能力に優れている。しかし言語獲得には他のいろいろな認知能力がかかわっている。”対もの関係”、”対ひと関係”における環境との相互作用を通して、それら認知機能の相互の働きあいの過程から言語能力は発達してくる。したがってさしあたっては、言語のモジュール化はそうした過程から発達、形成されてくる、と見たほうがよさそうである。
(2007年8月)
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