(1999年6月)
子どもたちの言語獲得
小林 春美・佐々木 正人 編集
大修館書店 1997年 初版発行
P17, P20-21
2.言語の「生得性」をめぐる論争
1) ピンカーによる「言語の生得性の証拠」
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言語の生得性の主張を裏づけるためにピンカーが提示した証拠は多岐にわたるが、こ
こではとくに説得力があるように筆者には思われる3つの証拠をとりあげる。第一は、
「ウィリアムズ症候群」(Williams Syndrome)というめずらしいタイプの知的障害の
人々の存在である。ピンカーによれば、この症候群の人々は、知能指数は50前後と
低く、靴紐を結ぶ、左右を区別する、といった日常的な行動ができない。にもかかわ
らず、正しい文法を使って驚くほどなめらかに話すことができる。他の能力が極端に
低いのに言語は損なわれていない。だから、言語が他の能力から独立した「モジュー
ル」(module)構造を持つことを立証している例だとしている。
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2) ピンカーによる「言語の生得性の証拠」への反論
ピンカーによる生得性の主張について、生成文法論とは異なる立場から長年認知発
達と言語獲得の研究を積み重ねてきたベイツと、最近認知心理学的立場に立つ言語獲
得研究で頭角を現してきたトマセロが反発している。
第一に、ウィリアムズ症候群の子どもは知能指数が低く、認知能力が一般に低いに
もかかわらず、立派に文法を使いこなして会話できる。だから文法能力はモジュール
をなすと言えるだろうか? ベイツは、研究されたウィリアムズ症候群の子どもたち
が優れた文法能力を持つのはむしろ当然であって、他の認知能力に比べて文法能力が
飛び抜けているわけではない、と反論している。研究されたウィリアムズ症候群の子
どもたちは、多くがティーンエージャーである。知能指数の基本的な考え方は、人間
の実際の年齢に応じて期待される知能水準に比べて、実際には何歳に相当する知能水
準に達しているか、ということであり、IQ=MA/CA×100(MA:精神年齢、CA:暦年齢)
で表される。ウィリアムズ症候群の10代の子どもたちはIQが50から60と言われて
いるが、これはごくノーマルな6歳児に相当する! ピンカーは3歳児は文法獲得の
天才、5,6歳児ではほぼすべて文法は獲得される、といっているのだから、IQ 50で
も文法獲得は十分なはずだというのだ。
それでは、実際にウィリアムズ症候群の子どもはどのようなペースで言語獲得をす
るのだろうか。もしピンカーのいうように文法能力は他の能力と独立であるならば、
言語獲得のペースもノーマルかもしれない。生後8ヶ月から2歳半までの1,803人の
子どもについて、親に対する質問紙を使って語彙・文法・認知能力の発達を調べたベ
イツら(Bates, et al., 1995)のデータには、ウィリアムズ症候群やダウン症候群の
子どもたちのデータも含まれていた。これに基づき、ベイツは、ウィリアムズ症候群
の子どもたちはけっして言語獲得はノーマルではなく、非常にlate Talkers(ことば
が遅い子どもたち)であると述べている。だいたい2年も遅れるという。このことか
ら、ベイツは、「言語が獲得される以前に、一定の「認知的下位構造」ができていなけ
ればならないことが示唆される」と述べている。
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