発達期における漢字書字過程の語彙ルートの独立性に関する検討
―ウィリアムズ症候群児にみられる漢字の読字と書字の誤反応の特徴から―



石井麻衣・大越寛子・成 基香・小池敏英
東京学芸大学
学校教育学研究論文 (10)[2004.10] 15〜27ページ

 学習障害(LD)児の多くが、文字の読み書きに困難を示し、特に漢字書字に関して、その教育的支援が大きな課題とされている。このことから、近年、発達期における文字の読み・書きのメカニズムの特徴が注目されるようになってきた。

 文字の読み・書きに関しては、英語の研究が多く、音韻ルートと語彙ルート(意味ルート)が独立して存在することが、成人の後天性障害の知見から明らかにされた(McCarthyとWarrington,1990)。日本語に関しては、漢字と仮名があり、文字の複雑さの程度や音韻と文字の関係が異なっているため、特に読みについて、音韻ルートと語彙ルートの関与が異なっていることが指摘されている。斉藤(1981)は、仮名の場合は、音韻処理を経て意味処理が行われるのに対して漢字では音韻処理を経ないで、直接意味処理が行われるとするモデルを提出した。一方、御領(1987)はMorton(1980)の提案したロゴジェンモデルを日本語に適用し、仮名と漢字ではともに音韻処理と意味処理が存在するが、漢字では意味処理が優先されることを示した。水野(1997)は、漢字も仮名も、形態処理、音韻処理、意味処理を経るが、漢字表記語に関しては、経験による習熟を通して、音韻処理が自動化されていることを指摘した。子どもは、漢字習得の途上にあるので、漢字の音韻処理の自動化が十分機能せず、そのため音韻処理と意味処理のルートが乖離しやすく、相互に独立して機能する傾向が高いことが予想されるが、この点に関する検討はまだ十分なされていない。情報処理の偏りがあるといずれかのルートに偏る可能性も予想されることから、子どもの漢字書字における情報処理の偏りによって、子どもにとって有効な書字ルートは異なる可能性がある。音韻ルートと語彙ルートが発達において独立して機能し、単独のルートでも書字が可能であることが示されたならば、LD児の書字指導でも、学習漢字の特徴、情報処理の偏りの特性を考慮した適切な書字ルートの選択にもとづく指導が可能であることを考えられる。そこで以下、発達性の書字障害について従来の知見を概観し、本研究の課題を明らかにする。

 発達性の書字障害に関してTemple(1997)は、発達性の語彙性書字障害と音韻性書字障害とを区分し、代表的な障害事例を報告した。発達性の語彙性書字障害の事例RBでは、単語の音韻の特徴が保持され、誤反応の多くは、音韻と綴りのルールに従ったまちがいであった。一方、発達性の音韻性書字障害の事例AHでは、音韻による誤りではなく、意味的な誤書字を示した。事例AHは書き取りで、hid(正答)→hide(書字結果)、press→perss、jewel→jelly、child→childrenre、either→arotherという誤書字を示した。Temple(1997)は、発達性の語彙性書字障害と音韻性書字障害の両方を認めたことから、綴りの発達過程においても、音韻ルートと語彙ルートが存在することを指摘した。また、音韻ルートと語彙ルートが2重乖離を示すことから、それぞれのルートが独立して障害を受けることを指摘した。

 日本語の発達性書字障害に関しては、報告が限られている(大石,1988、宇野,2001、石井,2001)。

 平仮名の書字に関しては、大石(2002)は書字運動そのものに困難があった事例とともに、音韻ルートに困難があった事例を報告した。

 漢字の書字に関しては、石井ら(2002)の報告がある。漢字は音価と意味をあわせ持つ形態素文字である(岩田、1999)ことを考慮し、LD児の誤書字を分析した。その結果、「木綿(正答)→木面(書字結果)」、「興味→共味」と書く事例を報告し、音韻ルートに過度に依存した事例の存在を指摘した。しかし、意味的な誤書字については、誤書字の存在を指摘するに留まった。発達期の漢字書字においても、音韻ルートと語彙ルートが存在することを示すためには、類似した意味を持つ漢字を語書字する傾向が特に強く、過度に語彙ルートに依存した書字を行う事例を明らかにする必要があろう。このような事例の存在を明らかにできるならば、音韻ルートを介さない、語彙ルートに依存した書字プロセスを指摘でき、それにより発達期における音韻ルートと語彙ルートの相互独立性を検討することができる。音韻ルートに過度に依存した事例が、視覚認知の発達に比べて言語発達に落ち込みが見られたことから、このような語彙ルートに依存した書字を検討するためには、言語の語彙的側面の発達が良好で、それと比べて視覚認知の機能レベルに弱さを示す事例での検討が有効であると考えられる。

 ことばの語彙的側面の発達が良好であり、それと比べて、視覚認知の機能レベルに弱さを示す事例としてはウィリアムズ症候群の子どもがあげられる。ウィリアムズ症候群はWilliamsら(1961)により報告された遺伝子病であり、心臓・血管系の疾患、独特の顔貌、知的障害を示す。遺伝子病は、7番染色体の長腕部分の部分損失によるもので、エラスチン遺伝子とそれに近接する約20個の遺伝子の欠失によることが明らかにされた(Lenhoffら,1997)。知的障害の程度は中度から軽度の範囲にわたり、出生率は2万人から3万人に1人であると推定されている。

 ウィリアムズ症候群児の言語能力は高く、知的発達レベルと比べて流暢な発話、良好な語彙と言語表現力を持つことが指摘された(次良丸,2001)。他方、視空間認知には強い障害が指摘されている。この障害は、模様構成課題やブロックデザイン課題などの視覚空間構成課題(Paniら,1999)や描写に見られること(Bellugiら,2001)が知られている。描画においては、模写や自由画の場面で構成要素は描くがそれらが統合されず、構成要素の空間関係が崩れる傾向が強いことが報告された。また、書字困難を示すことが指摘された(野口,2001)。

 以上より本研究では、知的障害を伴わないウィリアムズ症候群の事例を対象として、漢字書字の学習過程を検討し、漢字の誤書字の特徴について検討を行う。それに基づき、ウィリアムズ症候群児の書字における語彙ルートの関与の特徴を明らかにし、発達期の書字プロセスにおける語彙ルートの独立性について考察することを目的とする。

 なお検討に際しては、ウィリアムズ症候群児としての特性を明らかにするため、書字困難を示すLD児における誤書字の特徴との比較検討を行った。そのため、検討対象としたLD児は、K-ABCで評価できる認知の機能レベルが、ウィリアムズ症候群の事例より高い(LD(H)群)とともに、同じ範囲を示す群(LD(L)群)を共に10名ずつ設定した。また学習過程の特徴を検討するため、ウィリアムズ症候群の事例とほぼ同じ知的発達水準を示したLD児1事例について、漢字書字の学習過程の比較検討を行った。

(2005年1月)



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