ウイリアムス症候群:音楽的才能の複雑さに関する考察



Dalit Warshaw 著 作曲家・ジュリアード音楽院の作曲科修士課程の生徒


Williams Syndrome: Pondering the Complexities of a Musical Gift

by composer Dalit Warshaw, a master's student in composition at the Juilliard School


ジュリアード・ジャーナル(1996年11月号 10-11ページ)の記事には、ウイリアムスの 人々の音楽的才能が紹介されている。以下は、その記事からの抜粋である。

わたしは、1995年夏にマサチューセッツ州レノックスのベルボア・テラスで開催さ れた、ウイリアムス症候群の人達向けの一週間のキャンプでウイリアムス症候群の人たち とともに過ごすという貴重な経験をしました。参加者の年齢は、9才から46才でした。 精神発達遅延という面と素晴らしい才能を持っているという面を合わせ持つ人々と過ごし たことで、典型的で伝統的な方法とは違う教えかたを探さざるを得ませんでした。時には、 私達がいつも行なっている伝統的で知識に偏った教えかたで伝えているものが本当の音楽 なのだろうか、ということも考えずにはいられませんでした。

会っていっしょにレッスンしたのは、ほんの一握りのウイリアムスの人にすぎませ んが、彼らは精神的障害を持っているようにはまったく見えませんでした。それどころか すばらしい耳を持ち、知識としては知らなくても、魂の中で音節や音楽的主題の変化など を自然と本能で感じられる、優れた音楽的才能を持った人達でした。音楽的才能と同じで、 暗黙の内に理解できるものならば、それを言葉で表現したり説明したりすることが必要な のかどうかという疑問がわいてきます。実際、素晴らしい音楽性に関しては、言葉による 過度の説明は邪魔なのです。音楽的本能の方が、方法論的分析よりも何倍も早くそして確 実に機能します。例えば、モーツアルトには言葉による論理的説明など必要ありません。

私は、生徒達の一人一人と毎日30分ずつ練習しました。他の人と違って、彼らは 日課を行なうのにたくさんのエネルギーが必要なので、30分は十分な時間なのです。彼 らは、身体的には完成されていないことが多いようです。身体的ハンディキャップの程度 は、非常にばらついています。不格好であったり、体重が多すぎたりします。非常にやせ ていたり、手足をよく動かしたりもします。全員が愛情を求めており、またいつでも他人 に対して愛情を表現することが出来ます。彼らはいつでも、あなたを抱きしめてオーバー な愛情を込めた挨拶をします。あなたの所に倒れかからんばかりに駆け寄ってきて、愛情 豊かに抱きついたりもします。時には誉めてもらうために、インストラクターであるあな たを喜ばせようと一生懸命になることに夢中になります。しばしば、他人を喜ばせる事に 集中しすぎて、疲れ果ててしまいます。そのため、レッスンするときには、気を付けて反 応を見ることが必要です。最初はいつでも非常に熱心で完璧な集中力もあります。しかし、 テンポが遅くなったり、間違いを繰返したり、集中しなくなったりした場合は、エネルギ ーが無くなってしまった兆候なのです。30分のレッスンの内、20分は有意義に使えま す。残りの時間は、お話し(彼らは話し好きで、話し上手です)をするか、ピアノで簡単 な即興演奏をしたり、アダム(仮名)の場合は耳で聞き覚えた曲や自分で作曲した曲の弾 き語りをしたりして過ごします。

18才のアダムは、部屋に入るなり見える範囲にいる全員に熱心に挨拶をします。 そのあと、いきなりピアノの前に行って座ると、近くで何が起こっても気がつかないくら いピアノに没頭します。彼はポップスタイルの即興曲を演奏しますが、その曲は正しい和 音の上に、印象的なフレーズと時宜を得た叙情的な歌詞でできています。しかし、彼が和 音を弾くときにはルートポジションを持ったトライアド(3和音)を使っていないことに 気がつきました。しかも、片手で2音を同時に弾きますが、3音を同時に弾く所は一度も 目にしませんでした。2つの音の間隔はほとんどの場合4度で、時々3度を使います。こ のため、ほとんどのコードが第2転回コードになっています。和音を弾く時は、たいてい の場合2の指と4の指をだけ使います。彼の手は、4と5の指が変に曲がり、親指が突っ 張ったおかしな形になっています。

音楽的に必要になったときに、彼が5の指を使えるか、あるいは使おうとするか知 りたいと思いましたが、彼が作り上げてきた彼独自の音楽表現を侵害しないように気をつ かいました。また、彼の演奏スタイルを完全には変えてしまわないように注意しながら、 左手の和音とリズム、右手のメロディというポップミュージックの典型的な演奏方法を変 えるように仕向けました。今までとは少し違った風に演奏したくないかどうか尋ねました。 つまり、歌声無しで、手には今までとは違う役割を持たせた演奏方法です。ベートーベン のテンペストソナタの第3楽章の最初の部分を弾いて聞かせました。200年も前に作曲 されていますが、アダムのポップミュージックと同じで、I,V,V,I,IV という和音進行を持 っています。その後、特徴的な「おかしな和音」IIbがきて、最後はV,I となります。し かし、同時に弾く和音ではなく、左手も右手も、音を滑らかに結ぶレガートで弾く事が必要 なアルペジオです。しかも手は1オクターブの幅に広げて、5の指も使わなければいけま せん。

アダムは私が弾いた通りに弾きました。彼の指使いで私の右手をまねたときに、彼 は、自分の指使いが不格好で、あまりに5の指を使わなさすぎる事に気がついたようでし た。低音部では、アルペジオの効果を出すために指を一杯に広げて小指から弾き始めない と演奏できないということが一層はっきりしました。私の2回目の演奏を聞きおわった後、 両手とも引けるようになりました。アダムは楽譜は読めません。

キャンプにいて、ウイリアムスの参加者達の素晴らしい社交性や愛情あふれる態度 に接していると、魅了されずにはいられません。彼らの持つ肯定的な態度に影響され続け ます。さらに、音楽に対する反応を見ていると、痛みにたいする天性の感受性が見られま す。彼らは、いつでも音楽に込められた感情表現をはっきりと理解しています。音楽を鑑 賞していて共感を覚える部分を指摘できるのです。ある18才の少年がショパンのバラー ド4番を弾いているときに、特定の部分でどのように感じるかを尋ねてみると、彼はすぐ に、「大変悲しい。孤独。怒り。ここは大変楽しい!」と答えます。かれらの音楽性は、 病気による単純な「ものまね」能力だという人がいますが、もしそうだとすれば、音楽の 持つ意味に対する優れた理解力や、音楽を愛する事、音楽を使ってコミュニケーションで きる能力は、どう説明できるのでしょう。しかし、一般論として語ってはいけないのでし ょう。すべての人がそうであるように、どれだけ詩に親しんだ経験があるかで、詩に対す る理解力には差ができます。私がレッスンした人達の間でも、音楽性の程度は大変ちがっ ていました。これは個人差なのでしょうか、それとも、病気の影響なのでしょうか。ウイ リアムス症候群や生来の能力が、音楽との相性にどのような影響を与えて普通とは違って きているのでしょうか。そのような状況でウイリアムス症候群が脳にどのような影響を与 えたとしても、生まれつきや遺伝的に受け継いでいる複雑な個性をその人から引きはがし て見る事などできないのです。それともそんなことが可能なのでしょうか?

10才のジョシュ(仮名)は、やせていてしなやかな身体、金髪で青い目、ちゃめ っけのある、誠実で聡明な男の子です。この日は特別な日で、全てがうまくいった最初の 日でした。というのは、彼の母親がいたからです。彼に、バッハのインベンション・ヘ長 調の出だしの部分を教えました。間違えるとすぐにひどく傷ついて、どうしようもなくな り演奏を止めます。フラストレーションがたまり、自信をなくし、悲しそうに泣き始めま す。「ぼくは絶対うまくひけないんだ。」前日にも、中間演奏会の時に聴衆の前で同じこ とがありました。しかし、同時に自分がどれほど上手であるかという事にも気がついてい るようです。自分自身でいろいろな事をやろうとします。カバレフスキーのトッカティー ナを違ったキーで弾く事ができますが、練習はしぶしぶ行ないます。彼は絶対音階を持っ ています。集中しているときには、すばらしい耳と記憶力をもっています。あるレッスン の時に、突然サキソフォーンの音が外から聞こえてきました。彼は、ピアノで正確な高さ の音を再現できました。

ウイリアムス症候群の場合、症状はほとんど気付かないものから明らかに重いもの まで変化に富んでいます。例えば、ジョシュは年齢相応の学年の普通学級に通っています。 顔も普通ですし、ひどい整形外科的問題もなく、十分な技術とともに全部の指を使って、 10才にしては難しい曲をこなしています。良心的なピアノ教師とハノン法のおかげで、 彼の両手は早いうちから正しく基礎を教え込まれていました。ただし、標準に比べて若干 指を曲げすぎています。

この人々の独特で熱狂的な芸術的能力を見ると、我々は畏敬の念に打たれるととも に、心の底からの悲しみに満たされます。なぜ天性の才能を獲得するために障害が伴わな ければいけないのでしょうか?あのような美しさが苦悩を伴わなければいけないのでしょ うか? 一部分の欠失が身体や脳にこのような劇的な変化を与えるという染色体の片側に は何が潜んでいるのでしょうか? まさにこのような才能の存在は遺伝子の気まぐれが引 き起こすものなのでしょうか? 才能と生物学的なかたよりというものは、私達が考えてい る以上に関連があるのでしょうか?才能は病理学と同義語なのでしょうか? 並みはずれ た才能は、才能を測る偏差という視点では正常な出来事なのでしょうか? つまり、病気に 関連しない純粋な才能というのは、本当の奇蹟に近いことなのでしょうか。いずれにしろ、 この症候群には解明されなければいけない課題が残っており、今以上にウイリアムス症候 群の人々を援助し励ます努力が必要です。遺伝子学者やその他の研究分野だけではなく、 心理学者や音楽家による努力も同じように必要です。


ウイリアムス症候群音楽芸術キャンプは、1994 年に、共にウイリアムス症候群の子 供を持つハワード・レンホフとシャノン・リベラによって創設されました。(グロリア・ レンホフは才能豊かなウイリアムス症候群を持ったソプラノ歌手です。楽譜を読む事はで きませんが、プロとして歌うことをめざして、最近5枚めのアルバムをリリースしたとこ ろです。このアルバムでは、ヘブライ語・ドイツ後・イタリア語を含む22ヶ国語の歌が 吹き込まれています。彼女はアコーデオンも演奏します。ジョン・リベラは優れたクラリ ネット奏者でありピアノ奏者です。)


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訳者注:
この記事の舞台となったウイリアムス音楽芸術キャンプの模様は、ビデオになって います。アダムやジョシュと思われる人が出てきます。

この論文は、米国のWilliams Syndrome AssociationのMr.Terry Monkaba氏の許 諾を得て、原典を訳したものです。訳に関する間違いは、杉本 まで御連絡下さい。 (1997.4.8 作成)



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