(1998年10月)
不思議な症状を持った人々が毎年マサチューセッツで開催される音楽芸術キャンプに
参加して、おおいに音楽を楽しんでいる。彼等にとって音楽は単なる娯楽ではなく情熱を
傾ける対象である。
デーブ・シーバー(DAVE SCHEIBER)著
著作権:セイント・ピーターズバーグ タイムズ 1998年9月6日付け
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ここはジェームス・テイラー(James Taylor)の古典的な曲“Sweet Baby James”で
歌われている絵の様に美しい地域である。またアーロ・ガスリーの代表作である反戦大作
“ Alice's Restaurant ”のヒントになった、ごみを捨てることに対する警察の怒りを描
いた場所でもある。また、ここはボストン交響楽団が国際的にも有名なタングルウッド音
楽祭(Tanglewood festival)を毎年夏になると開催するホームタウンでもある。
しかしこの5年間、ここで音楽に関わる人たちは新しい深みと意義に触れている。
200年の歴史を持つレノックス市の丘の上の緑の木々に囲まれてたたずむベルボ
ア・テラス美術&舞台芸術キャンプ( Belvoir Terrace Fine & Performing Arts Camp )
は、プロの音楽家達とともに最先端の遺伝学者をも引き付けている。
ベルボア・テラスは、ジュリアード音楽院やバークリー音楽学校(Berklee School of
Music)等出身の世界的なインストラクターが参加する全米トップクラスの音楽芸術キャン
プだということがその理由ではない。その興味の対象は通常キャンプの後に続く一週間の
集まりに注がれている。
毎年8月になると、ベルボア・テラスはウイリアムス症候群と呼ばれる遺伝子疾患を
持つ人々に門戸を開放する。この人々は、心臓疾患・妖精のような容貌・正常域の最下層
から軽度の遅滞の精神発達状態・優れた言語能力・社交的な物腰などユニークな特徴を共
有している。そしてもう一つの特徴が、音楽に対する情熱である。
1961年にこの症候群を規定したニュージーランドの医者J.C.P.ウイリアム
ス(J.C.P.Williams) は、この音楽性のことにはまったく気が付いていなかった。ウイリ
アムス症候群に関する論文を発表した数年後、彼はイギリスで列車に乗るところを見かけ
られたことを最後にぷっつりと消息を絶った。
ウイリアムス自身を包み込んているミステリーをよそに、科学者は苦労しながらウイ
リアムス症候群を覆っている疑問を解明しようとしている。彼等が発見したことは、ウイ
リアムス症候群の人々を助けるだけではない。この研究は、脳がどのように機能している
か、どのようにして会話を習得するか、私たちの個性はどのように形作られるか等に関し
て重要な洞察を与えてくれる。
科学者達は、ウイリアムス症候群の大部分の人たちが持っている特筆に価する言語能
力に引きつけられている。同時に彼等は音楽との関連性の不思議さにも興味を持っている。
ウイリアムスの人の多くは、絶対音感や相対音感を持っている。ほとんど全員が音楽に対
して魂からほとばしり出てくるような愛情を持つ。
「音楽は私のこころに火をともし、それが体の中を通りぬけていくのが感じられます」
と、クリスチャン・ローソン(Christian Lawson)(コネティカット出身で、24才のピ
アニスト)は言う。「天国にいるような気分です。」
外側にはほとんど何もサインはないが、「カーネギーホール」とか「リンカーンセン
ター」とか「ボトムライン」という名前がついたバンガローの中では、ニューイングラン
ドの涼しい空気を通して、ポップやクラシックを歌う声がピアノのメヌエットやクラリネ
ットのソロやドラムの反復楽節と交じり合う。
ゆったりとした劇場からはざわめきが聞こえる。ウイリアムス症候群音楽芸術キャン
プの参加者達が、土曜日の夜の最終公演に向けて、ブロードウェイのヒット作「マイ フェ
ア レディ」や、この場にふさわしい名前の「サウンド オブ ミュージック」の舞台リハー
サルをしている。
リハーサルの間、テリー・モンケイバ(Terry Monkaba)は屋根の無い観客席に座り、
眼下の舞台にいる彼女の12才の息子のベン(Ben)を見て微笑んでいる。モンケイバは7
500人のメンバーを有するウイリアムス症候群協会(Williams Syndrome Association)
の事務局長である。ベンは、疲れを知らない情熱を持ったオレンジ色の髪のかわいい少年
で、2才になる前に数回の心臓手術を受けている。彼は年齢の割に小柄できゃしゃである。
しかし、音楽面ではすばらしい成長をみせる。ドラム奏者として複雑な4分の5拍子
や最新の演奏方法をマスターしている。歌手としては、喜びと存在感を十分に示す。「ド
レミの歌」のソロを終えたあと、ベンは大舞台俳優の P.T. Barnum のように、「イェー」
という歓声を上げ、両手の親指を上に突き上げる。
「今週ここには57人の子供達がいます。」とモンケイバが言う。「57人のすごい
才能を持った子供たちがいるのでしょうか? いいえ、違います」と続ける。「57人の子
供たちは音楽に感動しているのでしょうか? その通りなのです。そして、それこそが重要
だと思います。」
ベンとその仲間のキャンプ参加者の演奏の模様は、キャンプを訪れている撮影チーム
の映像の一コマになった。ナイトラインからフランス国営放送まで数多くの撮影チームの
前でも、彼らはのびのびと振る舞っている。彼らの多くはたびたびメディアに登場するの
で、カメラ慣れをしている。「60Minutes」も放送を行った。2年前には、著名な神経学
者のオリバー・サックス博士( Dr. Oliver Sacks )がBBCのドキュメンタリーをここで
撮影した。9月15日放送予定の彼のPBS特別番組「オリバー・サックス: The Mind
Traveler 」はウイリアムス症候群を取り上げている。サックス氏は「“Grateful Dead
concert”を見て以来、これほど音楽に情熱的なグループを見るのは初めてです。」とボス
トン・グローブ紙に語っている。
ウイリアムス症候群に対する理解は高まってきている。全国大会は1年おきの7月に
開催され、南東地域の会合はセイント・ピーターズバーグで来月開催される。
しかし、解明されていないことは多く、新しい事実が次々と出てきている。ウイリア
ムスの人と音楽の間の関連は1993年まで認識されなかった。1年後、その認識を基に
してこのキャンプが創設されることになった。そこには、障害を持つ人の潜在的な可能性
を見出そうという考え方が見られる。
「ウイリアムスの人々を理解する方法を見つけました。その結果、思いもかけなかっ
たような可能性に気付くことができました。」と、カリフォルニア大学アーバイン校の名
誉教授のハワード・レンホフ博士(Dr. Howard Lenhoff)は言う。彼がウイリアムス症候群
と音楽の関係についての認識を世間に広めてきた。レンホフの仕事は、43才の娘グロリ
ア(Gloria)によって引っ張られてきた。彼女はウイリアムスの音楽家で、オペラのソプ
ラノ歌手のように力強い歌声の持ち主であり、25ヶ国語で歌を歌える。
「同じ原理は他のハンディキャップを持つ人にも応用できます。」と、レンホフは付
け加える。「誰もが、できることではなく、できないことに注目しすぎています。」
丘の上の教会(The Church On The Hill)とはうまく名付けてある。町のメインスト
リートを登り切った所にあり、1806年からレノックス市を司ってきた。ベルボア・テ
ラスの敷地に隣接して、独立戦争後に作られた牧歌的な墓地を持っている。長い歴史を持
つこの教会にとって、今日は特別の日になる。すぐ隣のキャンプから1台のバンが到着し、
音楽にとりわけ熱中している16人のウイリアムスの人たちが席に着く。ウイリアムスキ
ャンプの参加者がレノックスで演奏会を開催するのは初めての試みであり、数十人の住民
達が聞きに来ている。
キャンプの参加者が一人一人楽しそうに自己紹介を行い、自分の曲を演奏する。マサ
チューセッツ出身の17才のジョン・リベラ(John Libera)は、慎重にクラリネットを持
つとレオナルド・ダ・ビンチのソナタ第1番をゆったりと演奏する。リベラがピアノ伴奏
をしてくれたキャンプのスタッフを紹介し、聴衆は喝采を送る。ミシガン出身の小柄なベ
ン・モンケイバは、全身全霊を傾けて“I've Got No Strings”を演奏し、大喝采に向かっ
て両手の親指を上げてみせる。
クリスチャン・ローソンは静かな口調で「私は“ Skye Boat song ”を演奏します。
気に入ってくれるかな。美しい曲ですよ。」と紹介する。その曲をピアノで見事に演奏し、
耳の肥えた観客に向かって、立ち上がってきらびやかな軍隊式の敬礼をする。
音楽祭は一時間続く。カリフォルニア出身のグロリア・レンホフはプッチーニの“Mio
Babbino Caro”で観客を魅了する。バーモント出身の妖精のような顔のケイト・ボーブ( Kate
Bove:10才)は、ロジャースとハマースタインの“My Favorite Things”に浸り、楽し
そうに手を振る。ミシガン出身の21歳のメーガン・フィン(Meghan Finn)は滑らかで官
能的にベット・ミドラー(Bette Midler)が歌った曲“ The Glory of Love ”を歌ってく
れる。19才のカナダ人リサ・ウォルシュ(Lisa Walsh)はハスキーなステージ向きの声
でロジャースとハマースタインの別の曲を披露する。私は理解した。
キャンプの参加者は音楽が好きで、曲を演奏することを大いに楽しんでいることはす
ぐにわかる。しかし、一番大きな反応はステージを見ているキャンプの参加者達から発せ
られる。彼らは、共感と喜びを素直に表現し、互いにハイタッチをし歓声を挙げる。
「音楽に感動した時の彼らの表現は魔法のようです」と、アン・ブリーン( Ann Breen )
は言う。彼女は夫と初めてこのウイリアムス・キャンプに参加する15才の娘カレンと共
にアイルランドから来た。ブリーンは10年前にアイルランドのウイリアムス症候群協会
を初めて組織した。2家族から始まり今では44家族にまで大きくなった。
演奏会が終わった後、「ここに来た時、最初は教えるものだと思っていました。でも
彼らが私に教えてくれたことはすばらしいことでした。」と、プロのバリトン歌手でキャ
ンプで歌のインストラクターを勤めるキース・スペンサー( Keith Spencer )が言う。「プ
ロの演奏家ならば音楽を修得し、すべてを正確に演奏することに苦心します。しかし、こ
この生徒はただ音楽を愛するがゆえに歌うのです。」
ジョンの母親のシャロン・リベラ博士(Dr. Sharon Libera)は、キャンプのコーディ
ネータであり、このキャンプの存在にとって重要な人物だ。リベラは、息子が赤ん坊だっ
た頃に発達の目当てのほとんどに遅れがあったことを思い出す。発達遅滞だったとは思わ
なかったが、3才になるまで一言もしゃべらなかったことは不思議だった。初めてしゃべ
ったとき、最初の言葉は「メリーさんのひつじ」の歌詞だった。すぐに彼女と夫は息子を
言語療法に連れて行き、次から次へと楽器などの音の出るおもちゃを買い与えたが、彼は
どんなおもちゃでも気に入った。
そうこうするうちに、医者は彼らの息子がウイリアムス症候群であるという思いがけ
ないニュースをもたらした。80年代初頭のことで、まだこの病気はほとんど解明されて
いなかった。彼らは症状の概略が書かれた恐ろしげなテキストを与えらた。「夫はまた発
作的な激情に陥ってしまいました」と、彼女は言う。「それは恐ろしいことでした。」 し
かし、その後リベラ家はウイリアムス症候群クリニックに行き、有益な療法を含めて明る
い希望を得ることが出来た。
リベラはウイリアムス症候群と音楽の関係には気が付いていなかった。気が付いてい
た人は誰もいなかった。しかし、彼女は自分の息子には音楽的才能があることは知ってい
て、小さい時からピアノのレッスンを受けさせた。同時に、ウイリアムス症候群協会の会
報に掲載された他の親達の手記から、彼らの子供達もピアノや歌が好きなことにも気が付
いていた。「徐々に期が熟してきたのです。」と彼女は言う。
彼女は他の親達に見せるために、ジョンのピアノ練習風景のビデオを専門家に撮影し
てもらった。そして、ハワード・レンホフ博士と接触した。リベラは、彼の娘のグロリア
の名前と彼女のオペラ歌手のような歌唱力のことを耳にしていた。
レンホフと妻のシルビア(Sylvia)は、ウイリアムス症候群に関してはもっと長い間
暗闇の中にいた。グロリアはJ.C.P.ウイリアムスがこの症候群を規定する6年も前
に生まれた。レンホフ夫妻は娘の遅滞には気が付いていて、彼女の人生を豊かにする努力
を可能な限り行ってきた。グロリアが11才の時、彼女の歌声がすばらしいことに気付い
た。「楽譜を読めない、あるいは読もうとしないような精神遅滞の女の子を教える教師を
見つけることはとても困難でした。最初の教師はひどいものでした。」とレンホフは言う。
ついに適任の教師を見つけた。刑務所で歌を教えていた女性だった。モーツアルトや
ヘンデルから始めて、耳で聞かせて教えた。そのうちに、レンホフは外人の教師も雇い、
外国語でも教えはじめた。娘には小さなアコーディオンを買い与えた。
「神様のおかげで、彼女はアコーディオンを受け取ってすぐに弾きはじめました。」
と彼は言う。「和音の弾き方など何でも知っていました。」
1988年に作製された、彼の娘に関するドキュメンタリー「ブラボー グロリア
( Bravo Gloria )」の中でも彼はそう言っていた。このドキュメンタリーが放送された
後、レンホフは科学者達や、自分の子供はウイリアムス症候群だという親達からたくさん
の電話があった。「結局その時に言ったことは、それがどうしたの?」だったと、彼は回
想する。しかし、彼と妻はウイリアムス症候群協会の会合に参加して同じような逸話を何
度も耳にした。「幽霊話のようなものさ、と言いました。」とレンホフは記憶している。
彼はその時点でも、グロリアは特別な才能がある上に訓練を積んだ例外的な存在ではない
かと思っていた。
その後、レンホフはたくさんの音楽的才能に恵まれたウイリアムスの子供達に出会っ
た。1993年イギリスのウイリアムス症候群財団の会合に出席するためにイギリスを訪
れたことで、グロリアのことは単なる偶然の幸運ではなかったことが納得できた。「もっ
とたくさんのイギリス人の子供達に会いました。そして、『シルビア、これは本当だよ』
と言いました。」 レンホフが音楽性との関連について人々に説き始めたときに、カリフォ
ルニアで一本の電話を受けた。リベラがマサチューセッツからかけた電話だった。
リベラは音楽に関する知見を話し合うために会わないかと提案した。レンホフは生ま
れ故郷であるマサチューセッツに家族で旅行したとき、彼女と会った。彼女はウイリアム
ス音楽キャンプを提案し、彼はウイリアムス音楽カレッジを提案した。後者はまだ計画段
階だが、前者の計画はまったくの偶然からすぐに軌道に乗った。
帰宅する飛行機に乗る日の朝、レンホフは旧友と食事を共にしていた。彼はたまたま
近所の女子向けのエリート音楽キャンプに食品を納品していた。それがベルボア・テラス
だった。それから数時間の内に、レンホフはベルボアの責任者ナンシー・ゴールドバーグ
(Nancy Goldberg)にキャンプのアイデアをぶつけていた。彼女はそれが気に入った。
彼女の母親、エンダ・シュワルツ(Edna Schwartz)が1954年以来ベルボアの持ち
主である。彼女が所有する、建物もイスもテーブルもその他の備品もすべてお気に入りの
紫色に塗られている。今日も、彼女は紫色の服をまとい、紫色のゴルフカートに乗ってキ
ャンプ中を巡っている。シュワルツは1993年にレンホフがグロリアを連れて彼女とゴ
ールドバーグに会いに来た日のことをよく覚えている。「私たちは彼女の歌を聞き、口を
ぽかんと開けたままただ座っていました。」
さらに、ウイリアムス症候群協会の理事達を納得させる必要があった。協会としては
音楽性との関係を確信してはおらず、さらに、他の子供達や親達を落胆させることを気に
していた。
「私たちは疑い深かったのです。」とウイリアムス症候群協会の事務局長テリー・モ
ンケイバは言う。「私たちは、この子達が単に驚くべき才能を持っているということを言
いたくはありませんでした。理事の多くは小さな子供を持っていましたが、彼らは音楽に
触れた経験が無かったので確信がありませんでした。しかし、計画を進めました。」
「その後月日が経つにつれて、彼ら全員がどれほど音楽に感動するか、音楽的才能が
あると思われなかった子供達が音楽漬けになることでどれほど進歩するかが明らかになっ
てきました。」
80年代を通して、科学者達はウイリアムスの人たちの遺伝子構成を研究し続けた。
1993年に画期的な進展があり、科学者達は、身体を構成する全細胞に存在する7番染
色体2本の片方から、ごく微量の遺伝物質が失なわれていることを突き止めた。
失われた部分には少なくとも15個の遺伝子が含まれている。そのなかの一つはエラ
スチンを作る遺伝子である。エラスチンは大きな動脈や肺や皮膚の弾性繊維を作っている
重要な蛋白質である。エラスチン遺伝子が少ない人は、心臓疾患・腸疾患・高血圧・関節
の異常などを起す可能性がある。
十分なエラスチンが存在しないことだけでは、出産2万回に1回の割合で偶発的に発
生する遺伝子疾患であるウイリアムス症候群の全特徴を説明できない。科学者達は他に失
われた遺伝子が症候群の特定の特徴につながっているという仮説を立てている。失われた
遺伝子の一つであるLIM kinase-1が空間認識を妨げている可能性がある。これは、形を描
いたり、ブロックを組み立てたり、物体にぶつからないように歩くこと等の簡単な活動が
ウイリアムスの人には苦手であることの原因になっているのかもしれない。
遺伝子研究の結果としていつの日にか、ウイリアムス症候群の人たちの歩き始めや話
し始めが2才くらいと遅いこと、微細運動が苦手であること、雷や消防車のサイレンのよ
うな大きな音に特別敏感なこと等の理由を説明できるかもしれない。言語発達の遅れにも
関らず、たいていの人は言葉が巧みで驚くほど豊富な語彙を持っている。このことで、教
師が彼らの能力を過大評価してしまい、ウイリアムスの子供達の学校生活の妨げになるこ
とがある。同時にこの現象は、ソーク研究所(the Salk Institute)のアースラ・ベルー
ジ博士(Dr. Ursula Bellugi)とその共同研究者達の多大な興味を集めている。
ベルージの発見によれば、言語能力を司っていると考えられている脳の領域はダメー
ジを受けていない。他にも影響を受けていない領域が2個所あり、それぞれ感情と記憶と
いうウイリアムス症候群の人たちの長所に関係している。彼女の研究から確実に導き出さ
れる結論は、言語と推論の能力は必ずしも関連していないということである。
「ウイリアムスの人々の脳は私たちより20%くらい小さいことがわかってきまし
た。」と彼は説明する。「絶対音感を持っているプロの音楽家で肥大していると考えられ
ている脳の領域は左側頭平面(left planum temporale)と呼ばれます。ウイリアムスの子
供は、この左側頭平面が普通の人と同じ大きさがあります。つまり、比率から考えると脳
の大きな部分を占めている、すなわち大きいと言えるでしょう。ある遺伝子が失われたこ
とで、この機能に関する遺伝子が発現したり刺激されたりしたとも考えられます。しかし、
まだ解明されていません。実際のところ、ウイリアムスの脳は置いておいて、普通の脳に
ついてもほとんど理解されていないのです。」
レンホフはウイリアムスの人々について、ある音を聞かされて次の音が何であるかを
同定するという全体音感や相対音感について調査をしている。この調査を難しくしている
問題の一つは、ほとんどのウイリアムスの人は楽譜が読めないし、音階の名前も知らない
ことである。彼ら自信はこれで困ることはないが、絶対音感や相対音感を持っているかど
うかを調べることは困難になると、レンホフは言う。
「これまでのところ、音の名前を理解している子供を私は5人知っています。この5
人全員が絶対音感を持っています。」と彼は言う。「つまり、このキャンプ参加者57人
に対して5人です。正常な人々の間では、通常1万人に1人が普通です。」
「私はそれが好きではありません。小さい時には何度も病院に行かなくてはなりませ
んでした。ウイリアムス症候群であることで泣きました。学校では私をいじめたりからか
ったりする子供がいますが、ママは『気にしないで、あなたはそんな子供じゃありません。』
と言いました。そして、このキャンプにきた時もやはり泣きました。しかひそれはうれし
い涙でした。なぜなら私以外のウイリアムスの人々の中にいたことなどなかったからです。
ただ幸せでした。」
ウイリアムスの人々の多くは幼い時に心臓手術を何度も経験している。多くの人は、
クラスメートからいじめられたり、じっと見つめられたり、孤独感を感じたり、溶け込め
ない悩みに耐えてきた。彼らは、自分が違う存在であることに十分に気が付いている。
「たいていの人は理解してくれません。」と、メリーランド出身で30才のメリンダ・
グレース・ポウラック(Melynda Grace Pawulak)は言う。「時には彼らのところに歩み寄
っていって、『私に何がおきているのか、なぜこのような歩き方をするのか、なぜこのよ
うな話し方をするのか、なぜこのような外見をしているのか、あなたは知りたいですか?』
と聞いてみます。時々気味悪そうに見つめる人がいますが、これにはたいへん傷つくし、
ろうばいします。でも、他人がどのように考えるかまではコントロールできません。」
多くの人にとって、このキャンプはウイリアムスの人に囲まれる唯一の機会である。
この一週間の魂の浄化をもたらす経験にはその感動も加わる。新しい社会関係・自己・援
助・自信などについての再認識を得られる。
ニューヨーク出身で18才のサラ・カタラノット(Sarah Catalanotto)は過去5回の
ウイリアムスキャンプのすべてに参加しているが、最初の年には恥ずかしくてまったく歌
えなかった。今では、スポットライトを浴びることが好きで、キャンプにいる最も優れた
ソロ歌手の一人である。リサ・ウォルシュ(Lisa Walsh)も同じで、3年前にキーボード
奏者としてキャンプに参加し、今ではモントリオールに帰れば教会や大人の聖歌隊で歌う
才能ある歌手である。ミネソタから来た13才のアレック・スウィージ(Alec Sweasy)は
初めてキャンプに来たときは8才でピアノの初心者だった。今では、次世代の抜きんでた
ウイリアムスの音楽家の一人になると考えられている。彼が生徒達のリサイタルで披露し
た10分間に編曲されたモーツアルトの協奏曲ハ長調をどうやって覚えたか理解できるだ
ろう。すべて耳で聞いて覚えたのだ。
次はメーガン・フィンの話である。彼女は滑らかで感情を呼び覚ますような声ととも
に両手と豊かな表情を使ったステージ上の存在感あふれたポップスターだ。メーガンの物
語は母親であるリズ・コステロ(Liz Costello)の体験と複雑に絡み合っていて、出口へ
の道のりの困難さを示している。
他のウイリアムスのキャンプ参加者と同じように、メーガンの発達は遅く、心臓疾患
に苦しんだ。コステロと彼女の夫は彼女をアメリカ中の病院に連れていった。18ヶ月で
診断された時には、両親ともウイリアムス症候群という病名を聞いたこともなかった。
早期診断は天の恵みだった。両親はメーガンに乳児刺激教育プログラム・感覚統合療
法・作業療法・理学療法・言語療法を受けさせた。「メーガンが子供の頃は、療育から療
育へと車で通いながら希望を持っていました」とコステロは言う。
3才の時に、メーガンはキーボードが出す音の不思議さに引かれてぽつぽつと弾き始
めた。彼女はラジオで聞いた曲を何度も何度も際限無く演奏した。
メーガンのウイリアムスの症状はかなり軽く学校での勉強も順調だった。しかし、文
字を読めるようになったのは、母親が買ってくれた音楽を通じて発音を勉強する教材によ
ってだった。8才のとき、スズキメソッドによってピアノを始めた。コステロはウイリア
ムス症候群協会のことは聞いていたが、「それに関ろうとはしませんでした。それではだ
めだとおっしゃるでしょう。私はただ頭を水の上に出していたかったのです、そして私が
していることに対する否定的な意見など聞きたくなかったのです」
ストレスは個人生活にも犠牲を強いることになり、コステロは離婚した。彼女はとう
とうアドバイスを求めて協会の女性と接触した。「その女性の名前は思い出せませんが、
彼女は私にとって天使のような存在でした。私がもう耐えられないと感じた時に、彼女は
電話の向こう側に居てくれたのです。それで、これこそ私が次に行うべき仕事だと感じま
した。他の人の天使になることです。」
コステロは今その仕事をしている。彼女は障害児と生活するためのセミナーを開催し
ている。また「その結婚を忘れるな」という別のセミナーも持っている。
「それは圧倒的な力であなたを変えるでしょう。あなたの人生、結婚、あなたの障害
を持っていない子供達、あなたのアイデンティティを変えてしまう可能性があります。」
とコステロが言う。彼女は再婚し、最近社会奉仕の修士学位を取った。
メーガンについて言えば、彼女は母親の夢を超えた。5年前の最初のキャンプ以前は
歌ったことがなかったのに、今では有名なウイリアムスのポップシンガーのスターである。
「歌っている時にどのように感じているかを知って欲しい。」と彼女は言う。「全身
が、魂や精神やこころと一体になっています。」
この教育プログラムは、教育心理学の教授であり、ウイリアムスのピアニストである
クリスチャン・ローソンの従兄弟であるサリー・レイズ(Sally Reis)によって運営され
ている。
「彼らはとてもたくさんの才能を持っています。」と彼女は言う。「共感。同情。心
配。愛に対する深い感情、他人の悲しみや動転に対する確かな理解。そしてもちろん社会
的能力も。」
この教育プログラムで彼女の記憶にいちばん残っていることは、ベニス(Venice)出
身の29才のブレイク・ミッドー(Blake Middaugh)というウイリアムスの参加者が書い
た詩だ。この詩は音楽キャンプの親達の集まりでにOHPを使って紹介された。次のよう
な詩である。
音楽は人生の手本のようだ
音楽は自由をもたらす
ロックンロールが少しあれば魂を楽にするから
音楽は線路の上を行く列車のようだ
旅が始まれば引き返すことは無い
音楽が友情・平和・笑い・愛・家族に似ているから
神様は私たち一人一人に特別の才能を使うようにと与えてくれた
誰か他人の人生に大きな影響を与えた時
この才能を失うことなどできないと思う
音楽の個人レッスンの時に理解できるかもしれない。一人の内気なキャンプ参加者、
エビー・パパゾグロー(Evi Papazoglou)、マサチューセッツ出身で21才、は、バーク
リー音楽学校の先生の指導のお陰で大好きなポール・マッカートニーの歌が上達した時に、
傍目にも明るくなった。メリーランド出身で24才のドラム奏者スティーブ・セスニー
(Steve Sesny)はアーロ・ガスリーのエースドラマー、テリー・ア・ラ・ベリー(Terry A
La Berry)の複雑なリズムを陶酔しきって演奏していた。
「私は何度も2人でドラムの共演をしましたが、化学の勉強では誰ともうまく共感で
きませんでした。」とそのレノックスを本拠地としているドラム奏者が言う。「相手は楽
しそうに微笑み、我々は一体になります。やろうとしていることを口に出して話す必要は
ありません。これまでこのような経験をしたことはありませんでした。」
最後の夜には確実にこの詩を感じることができるでだろう。発表会の場で、カウンセ
ラー達にベースとギターの補助をしてもらいながら、生徒達のバンドは“Wipe Out to
Margaritaville”を初めとして何曲も演奏した。ブロードウェーミュージカルのフィナー
レのように、キャンプ参加者はステージ慣れて楽しそうに“Get Me To The Church On Time”
からエーデルワイスまでの曲を歌った。歓声に満ちた温かいカーテンコールで発表会が終
わると、抱擁・涙・賞の発表・感動的なスピーチがあった。ウイリアムスの人々はこれで
この一週間のすべてが終わったことを知っている。つまり彼らは自宅という現実世界にま
た戻っていく。
暗闇の中、あるものは親と手をつなぎ、あるものは手すりにつかまりながら、キャン
プ参加者達は丘を下って来る。彼らはニューイングランドの輝く星明かりの下で笑いなが
ら語り合う。彼らの中では音楽が鳴り続けているようにも感じられる。無限に続くレール
の上の列車のように。
記者の弟で41才のロバート・シーバー(Robert Scheiber)はウイリアムス症候群で、
協会の前回の全国大会で講演を行った。ロバートはメリーランド州ロックビル(Rockville)
の合衆国政府の印刷局で18年間働いている。彼は熱心なピアニストでありドラム奏者で
ある。
セイント・ピーターズバーグで会合が開催される。
2401 66th St. NにあるTyrone小学校で開催される会合には、7才から18才までの
ウイリアムス症候群の子供の兄弟姉妹を対象にした“sibshop”や、ウイリアムスの子供の
教育方法や、音楽を使った算数の教育方法なども含まれている。
参加費は大人25ドル、ウイリアムス症候群の成人10ドル、子供8ドルである。詳
しくは南東地域ディレクターのデビー・ジョンソン(Debby Johnson)[トレジャーアイラ
ンド市(Treasure Island)在住、電話番号は(727)360−1099、9時〜17時]
に確認してください。申し込み締め切りは10月1日である。
ウイリアムス症候群協会のホームページはhttp://www.williams-syndrome.orgで、本
部オフィスの電話番号は(248) 541-3630である。ウイリアムス症候群財団(Williams
Syndrome Foundation)のホームページはwww.wsf.orgである。
[写真の解説]音楽が火をともす。