実践複合体としての音楽的場 〜Williams Syndromeの芸術プログラムにおける『ホイサー』の事例から〜
根津 知佳子(三重大学教育学部)
下垣温子、榊眸、圓道衣舞・安部剛(三重大学教育学部学教育学研究科)
松本金矢(三重大学教育学部)
音楽心理学音楽療法研究年報(ISSN 1345-5591) 第34巻 23-30ページ(2005年)
1. Williams Syndromeの芸術プログラム
Williams Syndrome(ウィリアムズ症候群)は1961年にニュージーランドの医師によって発見され、1993年に第7染色体の微小欠失であることが明らかにされた神経発生疾患であり、1/20000の発症率といわれている。近年、第7染色体の片方のq11.23領域にある約20の微小欠失部分の一部が脳で発現していることが判明し、その遺伝子型が脳神経や脳の構造に与える影響、さらには認知や行動といった表現型との関連が初めて明らかになるとの期待から、遺伝子・脳・認知行動といった最先端科学分野でWilliams Syndromeに注目が集まっている。例えば、表出言語能力と理解言語能力、聴覚的情報処理能力と視覚的情報処理能力のバランスが複雑な様相を呈すること、臨界期を超えても絶対音感を習得することができるなどの臨床例があり、他の認知能力とは別に生得的な文法知識が存在するのではないかといわれている。Steven Pinkerは「他の能力の低さに対して、正しい文法を使って驚くほどなめらかに話すことができる。他の能力から独立したモジュール構造を持つことを立証する例である」と、「言語の生得性」の論拠としている。また、H.M.Lenhoffは、「絶対音感保持者の発症率が一般に比べて高く、健常児が全体音感を身につける幼児期のある特定の期間の長さが拡張されている可能性がある」とし、脳の構造との関連を追及している。このように、Williams Syndromeの脳内機序や認知行動に関して様々な研究が行われており、特に言語獲得や音楽と感情の関連などに多くの関心が寄せられている。
米国マサチューセッツ州ボストン近郊で実施された『Williams Syndrome Music & Arts Camp』はWilliams Syndromeの音楽的才能を開花することを目的とし、レッスンを中心としたプログラムによって構成されていた。米国ではWilliams Syndromeの研究団体が母体となってこのような活動を展開し、その情報を提供している。米国に比べて我が国では社会的認知が低く、教育・療育現場におけるWilliams Syndromeの理解が遅れ、その言動が誤解されることもある。例えば、カクテルパーティ・マナーと呼ばれるWilliams Syndrome特有の話し言葉が巧みであり、かつ朗らかで明るい社交性が理解されないために、多動で落ち着きがないのは親のしつけ方に問題があるという指摘に悩んでいるケースもある。
筆者等は、2002年より行っている家族からの聞き取り調査を通して、Williams Syndromeに関する研究の多くが、当事者の生活世界から離れた次元(実験室や診察室)で実施され、結果が家族に還元されることが少なく、当事者の生活に結びついていないことを問題に感じてきた。そこで、教育・療育方法の開発が急務であると考え、米国で実施されていた「芸術プログラム」を視察し、我が国の現状に即した次のような特色をもつ芸術プログラムの開発を進めてきた。
@ Williams Syndromeとその家族全員が参加する。
A 音楽、美術などの多領域を融合したプログラムにする。
B 医学・福祉・教育・心理などの近接関連領域との連携を図る。
Williams Syndromeが音楽に対して親和性が高いことを重視し、音楽を中心とした芸術プログラムを構築しているが、将来的には、他の領域との連携を取り、プログラムにおける体験の系統性について根拠をもって呈示することも視野に入れている。
芸術プログラムに参加したのべ34名(3歳から22歳)から、次のようなWilliams Syndromeの表現行為の特性を確認することができた。
@ リズムに対する親和性やメロディの記憶力が高く、能動的な音楽活動を展開する力を持っている。
A 受動的な活動では、音楽的な文脈を読み取り、感情との関連を言語化する能力を持っている。
B 即興的な活動に対する不安や舞台恐怖が少ない。
C 創作活動では、イメージを音で象徴化する力があり、自分の作品のイメージを言語化することができる。
D 外界の音・音楽や既成の楽曲を再生する能力がある。ただし、読譜は困難である。
我が国では、心臓の検査などをきっかけに思春期以降に診断されるケースが多いため、教育・療育の方法を開発するためには、2つの視点が必要になる。早期に発見されたケースの場合、前言語的段階が多いことから、発達的視点と音楽的認知を指標とした明確なプログラムの構築が要求される。この開発には、ミシガン州の『Music Therapy Camp for Experience ? for young Children ages 6-11』の行動療法的な手法が参考になる。一方、診断が児童期から思春期以降であった場合には、学校や地域で生活することに関する問題を理解することを重視し、子ども達の表現行為を周囲が理解できるようにするための働きかけが重要となる。それは、家族にとっての精神的な支援にもつながるものである。
筆者等の芸術プログラムは継続的な治療行為ではないが、長期的な家族の支援も必要であることから、米国と異なる方法を取っている。
@ 視空間的認知の弱さを克服する活動(苦手なことを楽しく達成できる活動)
A カクテルパーティ・マナーがグループダイナミクスの動力となる活動
以上、4年に亘る実践研究により、芸術プログラムにおける「音楽的場」には、次のような2つの特性が内在することがわかった。
@ 「Fantasy」を共有することができる
A 「傷ついた癒し手」の概念による分析が可能である。
以上を検証するためには、具体的な事例報告と検討を重ねる必要がある。本稿では、芸術プログラムの中から、一つのパフォーマンスを取り上げ、@を中心に報告・検討する。
(2006年5月)
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