(1999年4月)
「この症候群の名前の由来になっているウィリアムズ医師(J.C.P. Williams)に関す
る謎は未だに解明されていません。ウィリアムズ医師は、ニュージーランドのオークラン
ドにあるグリーンレーン病院(Greenlane Hospital)の記録係をしていた時に、心臓の手
術に訪れる何人かの子供達(彼等の多くは大動脈弁上狭窄症でした)がお互いに同じよう
な特徴を共有していることに気がつきました。彼等は同じような容貌をしており、おしゃ
べり好きで、外交的でした。比較的小柄で、程度は様々ですが精神遅滞を患っていました。
彼は何かの症候群が潜んでいると考えました。その時の上司である心臓の主治医に相談し
て調査を続ける許可をもらい、この件に関する論文が1961年のMedical journalsに採
録されました。彼の調査に参加した家族が現在でもニュージーランドに住んでおり、ウィ
リアムズ医師は魅力的な紳士だったと証言しています。
ウィリアムズ医師は1964年にアメリカのメイヨークリニック(the Mayo Clinic)
から採用の申し出があるまでグリーンレーンで働きました。この職位は彼のためにとって
おかれましたが、彼が現れなかったので別の人に与えられました。その後、ウィリアムズ
医師は仕事でロンドンに行きました。メイヨークリニックが彼のために別のポストを申し
出ましたが、今度も彼は現れませんでした。そして彼は消えてしまい、家族でさえも、ロ
ンドンの手荷物預かり所に残された引取り手のないスーツケース以外彼の消息はまったく
わかりませんでした。
彼の母親は1972年に亡くなり、国際刑事警察機構(インターポール)がザルツブ
ルグ(Salzburg)まで彼の足跡を追いかけました。彼の妹がニュージーランドのロトルア
(Rotorua)に住んでいましたが、1988年に亡くなりました。彼女の息子のトム・モー
ガン(Tom Morgan)は叔父に会ったことはありませんでした。1990年にジョージ卿と
クーパー夫人がニュージーランドを訪れた折に、ウィリアムズ医師の甥に面会しましたが、
彼の消息について新しい情報は得られませんでした。クーパー家の人々は、最初の論文に
出てくるブライアン・バラット-ボーイ卿(Sir Brian Barrat-Boye)とロウ医師(Dr. Lowe)
に電話をしましたが、新しいニュースはありませんでした。ウィリアムズ医師についても
っと知りたいと思い、私がクーパー卿の後私がロウ医師に電話をかけたところ、ロウ医師
は「彼はとても頭のよい変わり者でした」といいました。
現在ウィリアムズ医師は70代の前半のはずです。彼は生きているのでしょうか?! 誰もが知りたいことですね!?」