音楽と脳とウィリアムズ症候群
WSFのホームページに掲載されていた資料です。“THE SCIENTIST”の編集者 Alexander M. Grimwade 博士に翻訳と公開の許可をいただきました。また、WSAのニュースレター「Heart to Heart」の「Volume 19 Number 1, January 2002、 P8-10」にも掲載されました。なお、後述の斜線部分はWSFのホームページに掲載された内容であり、ニュースレターとは異なります。
"Copyright 2001,The Scientist Inc. All rights reserved. Reproduced with permission."
(2002年1月作成)(2002年3月修正)
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ウェブ管理者注記:このインタビューは電話で行われ、その記述にはいくつかの間違いが含まれています。下記の記事は御自身の研究に基いてレンホフ教授による訂正が施されています(斜体部分)。
Music, the Brain, and Williams Syndrome
Rare disorder offers insight into the genetic basis of cognition
By Brendan A. Maher
"The Scientist 15[23]:20", November 26, 2001
認知に関する遺伝子機構への洞察を与える稀少病
ブレンダン・メーヤー著
The Scientist 15[23]:20 2001年11月26日
グロリア・レンホフ(Gloria Lenhoff)は46歳になる素晴らしい声のソプラノ歌手で、San Diego Master Chorale(合唱隊)やエアロスミスのメンバーなど様々なグループと共演している。彼女は25ヶ国語あまりの言語で2500曲以上の歌を歌うことができ、外国語の発音はほぼ完璧だと言われている。絶対音感も持っている。
しかし、歌以外の彼女は満点とは言えない。グロリアはウィリアムズ症候群と呼ばれる稀少遺伝病である。グロリアの知能指数はおよそ55で、5引く3や1ドルからのおつりの計算ができない。それでも同じ病気の仲間たちと同様に彼女は音楽的才能を有している。彼らの多くは生まれつき備わっている鋭い感覚で、拍子・リズム・音程・音色などの音楽的特徴を理解する。
およそ40年前に発見されたウィリアムズ症候群は生殖細胞生成時に7番染色体から20個程度の遺伝子が欠失するという不等交差が原因である (1)。ウィリアムズ症候群の特徴は、上向きの鼻・小さな顎・突出した耳などの妖精的な容貌、発育不全、心疾患、低レベルの視空間認知能力、大きな音に対する過敏性、社交的な性格、60前後の知能指数などである。この病気の人たちは最も簡単な心理的課題や身体的課題でもうまくこなせないことが多いが、一方で言語などいくつかの能力は損なわれていないように見える。ウィリアムズ症候群は非言語的学習障害に分類されることもあるが、他の認知機能をはるかに凌駕する会話能力や言語能力に適性がある。例えば、ウィリアムズ症候群の人に象の絵を書かせると形にならない数本の線でしか表現できないが、言葉では叙情的な細部にいたるまで説明できる。ソーク生物学研究所認知神経科学研究室(Laboratory for Cognitive Neuroscience at the Salk Institute for Biological Studies)のディレクターであるアースラ・ベルージ(Ursula Bellugi)が担当したある患者は、「灰色のおおきな耳を持っているわ。うちわのような耳よ。風を起こせるような耳。長い鼻を持っていて、草や干草を拾えるわ」と説明する (1) 。
最も目立つ特徴は、この症候群の人たちと音楽との特別なつながりだと思われる。全員が音楽に強い親和性を持っている。ほとんどの課題に対して短い時間しか注意力を維持できないにもかかわらず、音楽を聞いたり作曲することに関しては何時間でも集中できる。本格的な研究はほとんど行われていないが、このグループは絶対音感を持っている割合が高いことや、不思議なリズム感を持っていること示す証拠がある (2)(3)。ウィリアムズ症候群のある男の子は、片手で4分の4拍子、もう片手で4分の7拍子という複雑なリズムを刻むことを覚えた (4)。
「サバン(savant)」という単語を使うことを嫌う研究者も含めて、だれもが音楽との関係を認め、この症候群に内在する音楽性やその他の障害がこの病気そのもの、あるいは脳の発達とその機能に関する新しい知見に結びつくと考えている。
心臓に関する研究から得られたこと
ウィリアムズ症候群の遺伝子に関する発見は心臓から始まった。「私たちは心臓の障害に興味を持っていたし、今でも興味があります。」と、ハワード・ヒューズ医学研究所(Howard Hughes Medical Institute)の研究者であり、ハーバード大学医学部細胞生物学教授(professor of cell biology at Harvard Medical School)のマーク・キーティング(Mark T. Keating)が言う。症状の一つである大動脈弁上狭窄(SVAS)はウィリアムズ症候群患者の大部分に見られるが、他はまったく健康な人にこの狭窄が発生するケースもある。後者は、心臓の乾燥重量の約半分を占める物質であるエラスチン(elastin)をコードしているELN遺伝子が不完全なことに起因する遺伝病である。当時ユタ大学(University of Utah)にいたキーティングのチームは、連鎖分析とFISH分析を行った結果、7番染色体にあるELN遺伝子の新規欠失がウィリアムズ症候群の原因であることを突き止めた。彼らは病気の原因である微小欠失が7q11.23の位置にあり、大きさはFISH法を使わないと見えないほど小さく、200万塩基対を含み、高度に重複した染色体領域に隣接していることを発見した (1)。
欠失領域を確認するためのFISH法がウィリアムズ症候群の確定診断法として広く用いられている。一方で、トロント子ども病院遺伝子及び遺伝生物学科(Toronto's Hospital for Sick Children department of genetics and genomic biology)のステファン・シェーラー(Stephen Scherer)が行った最近の研究によれば、ウィリアムズ症候群患者の約5%で欠失領域に150万塩基対の逆位(inversion)がみられることが明らかになった (5)。シェーラーによれば「この病気を引き起こす欠失の原因となる欠陥を保有しているという誤った思いこみの存在」が健康保険問題を引き起こす可能性がある。この原因を有しているケースの30%では、ウィリアムズ症候群の症状を呈していない健康な両親も逆位を保有していることが判明している。この逆位の存在はウィリアムズ症候群を引き起こすメカニズムだと考えられている不等交差の発生確率を高める。
欠失している領域に通常含まれる遺伝子には、ショウジョウバエと相同なfrizzled (FZD3)、syntaxin 1A (STX1A)、転写因子C2(replication factor C2 (RFC2))、LIM-kinase 1 (LIMK1)をコードする遺伝子などが含まれている。典型的な2MBの標準的欠失より小さな部分的欠失を持つ人もわずかながら存在し、その相違がもたらすウィリアムズ症候群の症状の程度差から、認知機能と遺伝子のつながりに関する重要な洞察が得られている。
ELNとLIMK1だけが欠失している患者の場合、ウィリアムズ症候群に併発する心臓疾患と視空間構造認知障害はあるが、それ以外の症状はない。キーティングによれば、細胞構造制御(cytoskeletal control)とアクチン形成におけるLIMK1の役割が後頭頂部皮質(posterior parietal cortex)の発達障害に影響を与えている。イギリスのある研究所からはこの証拠に反論する論文 (1) が出ているものの、この稀少な欠失とその特徴を調べることで、これまで考えられていなかった脳と遺伝子のつながりを知ることができる。「例えば、ウィリアムズ症候群の子どもたちは不安症を呈することが非常に多いのですが、この不安症は普通の人々にも見られます。ひょっとすると、ウィリアムズ症候群の欠失領域に含まれる遺伝子の中には、普通の人々の不安症に関係する遺伝子が含まれている可能性があります」と、ネバダ大学医学部(University of Nevada School of Medicine)の小児科学教授で、キーティングの協同研究者でもあるコリーン・モリス(Colleen A. Morris)は語る。
新技術が登場するにつれてこれからも新しい発見が続く。全米保健研究所の遺伝子解析センター(NIH Intramural Sequencing Center)のディレクターであるエリック・グリーン(Eric Green)は、10月に開催されたアメリカ人類遺伝学会(the American Society of Human Genetics)で、欠失部位に存在するこれまで報告されていなかった6つの遺伝子を紹介した。彼の研究室ではヒトとその他11種類の脊椎動物の欠失領域に関する研究を続けている。「霊長類ではこの部位は長大な複製領域を有する複雑な領域です。下等脊椎動物ではこれほど複雑ではなく、複製領域もありません」と、グリーンは語る。グリーンはこの領域が進化とともに複雑になってきたことに興味を覚え、チンパンジーからpufferfishまでのすべての動物に存在する7番染色体上の遺伝子の濃密な領域に関する研究を行っている。
言葉としての音楽
音楽との親密な交わりを示す逸話として、曲を覚えるすばらしい記憶力、掃除機のモデル間に存在する音の違いを区別できるようなある種の特異な聴覚能力などがウィリアムズの人々に見られると言われているが、論文として発表された証拠はほとんどない。シアトル(Seattle)にあるグッド・サマリタン(Good Samaritan)病院のこども療育チームに勤務している神経心理学者のオードレイ・ドン(Audrey Don)は、この関係の探求を行った先駆者の一人である。「認知的に見れば、ウィリアムズ症候群のこどもは言語能力が比較的優れています。語彙とその使い方は非言語的な思考に比べて上手です」と、彼女は語る。
彼女はウィリアムズ症候群の人と言語能力レベルを一致させた対照群とに対して音程と拍子に関する簡単なテストを実施した。音楽能力は言語能力と釣り合いがとれていて、ウィリアムズ症候群の子どもの全体的認知能力より高いことを発見した 2)。調査に参加して質問に答えた親たちは、音楽との情熱的で強い交わりについて述べている。ドンによれば、ある幼児は子守唄のテープを聞くと泣き出した。その子が大きくなってから泣いた理由を尋ねたところ、子守歌が悲しすぎるからだと答えた。
マサチュセッツ州のイギリス風丘陵地帯で開催されたウィリアムズ症候群音楽芸術キャンプ(Williams Syndrome Music and Arts Camp in Massachusetts' Berkshire Mountains)で行われた簡単な研究においても、このウィリアムズ症候群患者の認知能力に関する傾向が読み取れる。研究者は8人の子どもに手拍子のリズムをまねるように求めた。被験者の精神年齢と同じ5歳から8歳で音楽教育を受けた健常な生徒たちと同様、彼らも上手にまねをした (3)。しかし、反応したリズムを書きとめたプロの音楽家はウィリアムズ症候群の子どもの間違いを「興味ある間違い方をする」と評した (3)。
彼らは手拍子を正確に繰り返せないことも多いが、その場合まるでジャズミュージシャンが行うジャムのように、拍子のまとまりを維持しながら創造的に間違える。間違った反応をした場合、研究者が言う「提示したリズムを創造的に完成させる」に相当するケースは、ウィリアムズ症候群のほうが正常グループの3倍も多い。
カリフォルニア大学アーバイン校の生物学部名誉教授(professor emeritus, School of Biological Science, University of California, Irvine)のハワード・レンホフ(Howard M. Lenhoff)は、ウィリアムズ症候群患者が絶対音感あるいは相対音感を持つ割合が高いことに関する研究を最近完成させた。これらは普通の西洋人においては一万人に一人の割合で見られるが、ほとんどのケースはかなり幼い頃から音楽教育を受けている。数多くの実験を行った結果、レンホフの娘のグロリアを含む音楽的訓練を受けたウィリアムズ症候群の人5人が、ほぼ完全な絶対音感を有していることが明らかになった。カナダとアメリカのウィリアムズ症候群の患者数に対して1/1000に相当する彼らは全員楽譜が読めないが、音の名前を当て、音程を指摘できる。グロリアが音の名前を覚えたのは40歳を過ぎてからである。どちらもウィリアムズ症候群患者の間では稀有な能力である。レンホフによれば、「彼らは演奏するために楽譜も音の名前も必要としません。両方とも彼らに備わっていない高度な認知能力を必要とする技能だからです。彼らは独自の方法で演奏します。」 レンホフがこの5人を選択した理由は彼らが音の名前を知っていたからである。平均から離れた特異なサンプルを選んだのではないかという批判に対して、レンホフは「平均を探し求めていれば、平均に行きあたる」と答えている。
これらの被験者たちが音楽の勉強を始めた平均年齢が新たな疑問を引き起こす。一般的には6歳より前に音楽の勉強を始めなければ絶対音感を身に付けられないと信じられているが、ウィリアムズ症候群の被験者は一人を除いて皆その年齢を過ぎてから音楽の勉強を始めている。絶対音感を身に付けられるこの短い期間が、ウィリアムズ症候群の人では長く引き延ばされていて、ひょっとしたら成人期もその期間に含まれている可能性がある、とレンホフは予想する。「ウィリアムズの人たちは、失われた遺伝子に起因する脳の発達異常によって、この期間を終了させる正常な機構が阻害されている可能性があります」と、レンホフは語る。レンホフたちは、幼児には絶対音感があり、これは言語獲得を行う初期には必要不可欠な能力である可能性があるが、普通の人の場合はこの能力を使わなくなることによって失われていく、という仮説を考えている (2)。
再び脳へ
この人たちの認知能力の長所短所は多様な知性が存在すること(3) を暗示し、脳と機能の相互関連を知るための様々な神経学的研究が始まっている。MRIを使った比較研究によって、ウィリアムズ症候群とダウン症候群の発達傾向の違いが明らかになっている。正常な人に比べると両症候群とも前頭皮質が小さいが、ウィリアムズ症候群の場合は脳全体に対する体積比率は変わらないのに対し、ダウン症候群では減少している。脳の中で最も新しく発達したと考えられている新小脳と皮質の一次聴覚野(primary auditory cortex)にあるヘッシェル回(Heschl's gyrus)は、両症候群とも正常な人と同程度の大きさである (1)。
もともと運動に関係していると考えられていた新小脳は解剖学的に前頭皮質と接続している、とペンシルバニア大学子ども病院子どもの海の家(University of Pennsylvania Children's Hospital Children's Seashore House)に勤務する小児科学助教授ポール・ワン(Paul P. Wang)が語る。「大地を震撼させるような結論を出すまでには至ってはいませんが、脳のこの領域が何を司っているかに関する手がかりを与えてくれます」と、ワンが語る。彼は音に対する短期記憶の一種である音韻ワーキングメモリー(phonological working memory - a kind of short-term memory for sounds)の研究を行っている。
生まれつき音楽的才能に恵まれているかどうかにかかわらず、ウィリアムズの人たちは認知面と身体面で独特の症状を持っていて、心臓疾患から遺伝子がいかにして機能に結びつくかという根源的原理に至るまでの様々な研究分野で力を貸してくれている。さらに、音楽とウィリアムズ症候群の交わりの研究は、同じ病気の人々に対して創造的な成果と援助方法を提供する。「この子たちは感情的にのめりこめる物事になら集中できます。音楽は自分が普通であるという意識や達成感を味合わせてくれる物です」と、ドンが言う。モリスはカウンセリングに訪れた家族に対して、音楽の鎮静効果を利用し、指示を出す時にも音楽を使うようにと伝える。
自分たちの子どもにはすばらしい音楽的才能がないことに落胆する親がいるかもしれないことを心配しながらも、彼女は今後得られるであろう新しい知見について語る。「『音楽』は様々な文化の中でいろいろな形で表現されるものの一つです。つまりこれは人間が持つ基本的性質だと思います。もしそれに関連する遺伝子的な要素があるとすれば、それはとてもすばらしいことです。」
ブレンダン・メーヤーの連絡先は bmaher@the-scientist.com です。
参考文献
- U. Bellugi et al., "Bridging cognition, the brain and molecular genetics: evidence
from Williams syndrome," Trends in Neuroscience, 22[5]: 197-207, 1999.
- H.M. Lenhoff et al., "Absolute pitch in Williams syndrome," Music Perception,
18[4]:491-503, 2001.
- D.J. Levitin et al., "Musical abilities in individuals with Williams syndrome,"
Music Perception, 15[4]:357-89, 1998.
- H.M. Lenhoff et al., "Williams syndrome and the brain," Scientific American,
277[6]: 68-73, 1997.
- L.R. Osborne et al., "A 1.5 million-base pair inversion polymorphism in families
with Williams-Buren syndrome," Nature Genetics, 29[3]:321-5, November 2001.
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