Williams症候群児の中切歯交叉咬合を舌側弧線装置で改善した症例
資料番号3-6-29の詳細な症例報告です。タイトルが異なるので別の論文として収録します。
(2011年5月)
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長嶺 菜穂、橋本 岳夫、安田 順一、玄 景華
朝日大学歯学部口腔病態医療学口座障害者歯科学分野
障害者歯科 32(1)、2011年、53-57ページ
要旨
Williams症候群は成長障害、精神遅滞、妖精様顔貌、大動脈弁上狭窄を始めとする心血管奇形の異常を伴う症候群である。本症候群患児の中切歯交叉咬合の症例に対し、舌側弧線装置による咬合改善を行ったので、その経過について報告する。
患者は6歳8ヵ月女児。前歯の歯ならびが気になることを主訴に当科を受診した。患児は、大動脈弁上狭窄、末梢性肺動脈弁上狭窄を有しており、口唇が厚く翻転して常に開口しており、いわゆる妖精様顔貌を呈していた。重度の精神遅滞を伴うものの、言語理解と意思表現は良好であった。智歯を除いて永久歯9歯の先天性欠如歯を認めた。Hellmanの咬合発達段階のVA期で、|1の交叉咬合を認めた。中切歯交叉咬合と診断し、正常な切歯被蓋の獲得を目的として、舌側弧線装置を用いた咬合誘導を計画した。
6|6にバンドを1ヵ月装着して問題がないことを確認し舌側弧線装置を装着した。適応は良好で、補助弾線の調整と口腔衛生指導を行った。装着4ヵ月後に被蓋関係は改善したため、その4週間後に後戻りがないことを確認して装置を除去した。舌側弧線装置除去1年2ヵ月後、D|Dの動揺と変色を認めたため抜歯した。4|は先天性欠如歯のため、可撤性局部義歯を装着したが、7ヵ月後に誤飲したためにクラウンループに変更した。将来的には先天性欠如歯の捕綴を検討しており、口腔管理を継続していく予定である。
症例
患 者:6歳8ヵ月女児。
初 診:平成19年7月。
主 訴:前歯の歯ならびが気になる。
現病歴:下顎前歯が上顎前歯より前方に萌出してうることに母親が気付き、当科を受診した。歯科検診の経験はあるが、歯科医療機関の受診は初めてである。本人のブラッシングは不十分だが、母親が仕上げ磨きをしている。介助磨きには協力的である。
家族歴:特記事項はなし。
既往歴:患児は在胎40週の自然分娩で出生。生下時の体重は2,132gの低体重児で3ヵ月間入院し、大動脈弁上狭窄、末梢性肺動脈弁上狭窄や顔貌などより、某病院所小児循環器科でWilliams症候群と診断された。
現 症:身長105p、体重16.0s(6歳女児平均:115.8±4.89p、21.0±3.29s、平成21年度学校保健統計調査)。顔貌は眼開狭小、腫れぼったい目、平坦な鼻根部、長い人中が認められ、口唇が厚く翻転して常に開口しており、いわゆる妖精様顔貌(elfin face)を呈していた。また、斜視もみられた。現在は地域の小学校の特別支援学級に通学している。重度の精神遅滞をともなうものの、言語理解と意思表現は比較的良好で、集団生活に順応している。日常生活上では音や光に対して非常に過敏性を認める。身体障碍者手帳1級、療育手帳A2(重度)を所持している。
口腔内所見:萌出歯は、6EDCB1|1BCDE6 6EDCB1|12CDE6で、Hellmanの咬合発育段階のVA期であった。1|は切縁のみ萌出し、|1の交叉咬合を認めた。Overbite 1.0o、Overjet -1.5oで逆被蓋は軽度であった。上下顎第一大臼歯の近遠心関係はAngle class Tであった。1|1 1|1の唇面の一部に軽度のエナメル質低形成と、1|1の栓状歯も認めた。軽度歯肉炎を認めたが、う蝕歯はなかった。
パノラマエックス線写真所見:先天性欠如歯は543|235 43|5で、智歯を除いて9歯の永久歯欠損であった。7|7 7|7の歯胚を認めた。
診 断:中切歯交叉咬合。
治療方針:切歯の正常咬合の獲得を目的として、固定装置を用いた咬合誘導を計画した。
<省略>
考察
Williams症候群は、1961年にWilliamsらが精神遅滞、大動脈弁上部狭窄および特異顔貌を有する症候群として報告した疾患である。塩基配列相同部位(LCR)で囲まれたラスチン遺伝子を含む、7q11.23領域が欠失することによつ隣接遺伝子症候群(参考:資料番号3-6-29)である。Williams症候群の発生頻度に性差はなく、本邦での発生率は2万人に1人と推定される。本症候群の全身的特徴は、妖精様顔貌(elfin face)と呼ばれる特徴的な顔貌、大動脈弁上狭窄をはじめとする心血管系の異常、知的発達障害などを伴う症候群で、嗄声や聴覚過敏、低身長を認めることが報告されている。本症例でも、特徴的顔貌、大動脈弁上狭窄、知的発達障害、嗄声や聴覚過敏と身体的発育遅延傾向を示し、本症候群の特徴と一致していた。
本症候群は、同じ神経発達障害である自閉症と対比されることも多い。自閉症は社会性の回避が特徴であるのに対し、本症候群はみずから社会的働きかけを行い他社と交わろうとするが、過剰なおしゃべりや過剰な親しさによる対人面のトラブルを起こしやすい。一般的に本症候群は、IQの低さに比してコミュニケーション能力は良好だが、視空間認知は極端に不良である(参考:資料番号3-1-26)。そのため、一定のコミュニケーションはとれるものの感覚過敏の影響もあり、歯科治療上の行動調整は困難なことが多い。本症例の初診時でも、実際の歯磨きや治療に関する拒否がみられた。そのため、さまざまな行動調整法を指導して円滑な歯科治療への適応を図った結果、舌側弧線装置の適応を含めた長期間の口腔管理が可能になった。
口腔内所見では前歯部交叉咬合、高口蓋、エナメル質低形成、矮小歯、欠損歯および叢生などが報告されている(参考:資料番号3-6-03、3-6-09、3-6-11)。Kawasakiら(参考:資料番号3-6-10)は、Williams症候群患者15症例について、歯の先天的欠如は10/15症例、歯の奇形は10/15症例、矮小歯は6/15症例、短根歯は6/15症例に認められたと報告している。歯種別では、歯の先天的欠如は下顎側切歯が11/26歯(42.3%)、矮小歯は上顎側切歯が12/14歯(85.7%)、短根歯は上顎第二小臼歯が9/34歯(26.5%)と最も多かった。本奨励でも、エナメル質低形成、中切歯交叉咬合、矮小歯(栓状歯)3本、先天性欠如歯9本を認め、特に多数の先天性欠如歯のため、部分無歯症に近い病態を認めた。多数歯にわたる歯の先天性欠如や形態以上の特徴は、これまでの報告と一致していた。臨床的には永久歯の欠如による乳歯晩期残存を認め、長期の口腔管理が必要な症例である。
本症候群に一般的にみられる咬合以上として、開咬、両顎前突、空隙歯弓列などがあり、インプラントを応用した症例(参考:資料番号3-6-20)や咬合異常のために外科的矯正を症例も報告されているが、本邦での矯正治療や咬合誘導の報告は少ない。本症例では、前歯部の被蓋に満足が得られているため、永久歯欠損部のリテーナーによる保隙装置の装着などで咬合状態を安定させ、先天性欠如歯の補綴処置と口腔筋機能訓練を併用しながら、長期間にわたる口腔管理を行う予定である。
一般に障害者の矯正治療の大部分は咬合異常の発現や進行を抑えるアプローチであり、抑制的矯正治療である。咬合状態の診断は模型分析やセファロ分析などを総合して行われるが、障害者ではデータを揃えることが困難なことも多く、年齢や歯齢および本人と保護者の理解度に合わせて、増悪因子の除去と抑制的矯正治療の観点から対応する必要がある。前歯部交叉咬合に対しては、咬合傾斜板や床矯正装置、舌側弧線装置やマルチブラケットなどが用いられる。本症例はコミュニケーションが良好であったため、可撤性装置も可能であったが、早期に確実な力を加えるために舌側弧線装置を選択し、良好な咬合関係が得られた。5ヵ月間の咬合誘導による対応で前歯部の咬合関係が改善された。6歳児の混合歯弓列からの咬合育成は、本症例のような咬合異常や先天性欠如歯が多くみられる場合には重要なアプローチであると考える。
<省略>
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